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日記
ミシェル・フーコーは知と権力の結びつきについて論じたみたいであるが、今を生きているだけではなかなかそうは感じない。
上野千鶴子氏の本を読んでみると権力が徐々に変容している様子が伝わってくる。
今では女性差別と認定される発言が昭和では平気でまかりとおっていた。
これは端的に、権力が男性中心だった為だと自分はおもった。
いま女性差別だと認定されてしまうのは、女性の地位が上がり権力構造が変化したからだと自分は見ている。
ややこしいのは、科学のような中立的な知と権力によるイデオロギー的な知が絡み合っている点である。
女性の地位が上がったからイコール世の中の価値観が変わったと判断するのはナンセンスである。
そうではない。女性の地位が上がった背景には社会運動に加え、科学的な知も同時に更新されていったはずである。そしてその知の更新は女性の手によって、科学や人文など幅広く展開されたはずである。
例えば、同性愛の人々を進化論的に「エラー」だと説明したのが20世紀初頭の知であったわけである。しかし優生学はあまりにも偏った見方であったように思う。自分は最新の進化論に関する本を3,4冊読んだが、20世紀初頭の知は「無知」だとしか言いようがない。
同性愛は自然界にありふれた現象であって、むしろ人間のへテロセクシャルがマイノリティだと思えるほどであった。
権力というものは往々にしてその権力を強化しようとする力学が働く。
自分は近年のフェミニズムに対しては、やや暴走しているようにも見えることもある。それは権力というものが自身を強化する傾向性にあるように思った。
というわけで再度くりかえすと、何故差別やハラスメントという言葉を日常的に聞くようになったのか。これは広く見ればやはり「権力構造が変わったから」だというのがいまの自分の見方である。
今日はもう疲れたのでこれ以上本は読めないが、加藤尚武『現代倫理学入門』のなかに「正義は時代によって変わるか」という章がある。
いま書いてきた内容と重なっている部分が大きい。明日読むならまずここだと今思った。
つづく
公開日2023/9/5