■株式会社共和国
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つづきをよみすすめた。
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日記
青版の前半はAiについて講義が進んだ。
本書も薄いので半分ほど読み終えた。
まず最初は文理の統合について話が語られた。
自分はディルタイの定義についてメモをした。
ディルタイによれば、理系的な知は「説明」、人文知は「理解」するものだとされる。
前者は対象の因果関係、法則を中立的に探求することだとされる。後者は習慣、文化、歴史的な事柄に対して「感情移入」をすることで意味を読み取り「理解」することに努める知だとされる。
ここは初めて知ったので書き残そうと思った。
・・・
AIに関してはハラリ『ホモ・デウス』のほうが詳しく書かれているように感じた。
仲正氏は哲学者らしく、Aiについて分析哲学の観点から話を展開した。
仲正氏は哲学者サールの「中国語の部屋」という思考実験について語った。部屋には中国語が全く分からない人が1人いる。部屋にはマニュアルが用意されていて、漢字の組み合わせAが外から指示(入力)されたらそれに対する回答としてBを提出(出力)する。これの完璧なバージョンがパソコンである。しかし入力に対して規則通り出力するだけなので、漢字の意味までは分からないという例え話であった。
ジョン・サールという哲学者は「弱いAI」と「強いAI」を区別し、人間を超えた存在として「強いAI」はあり得ないと主張する。心の哲学に詳しいダニエル・デネットと論争を交わしているとのことであったが、内容が高度なので今日はそこはある程度読み飛ばした。(というよりも理解するのが疲れる)
Aiの話は一旦終了し、次の講義は「ネットと文明」にシフトした。この章も政治的な話がメインであった。
ルソー「一般意志」「全体意志」の違いや、アーレントやハーバーマスの話とからめて「公/私」について語られた。
古代人の「自由」は公共的な場で議論を交わすことであり(=公)、近代人の自由はプライベートを重視する(=私)という、時代によって次第にシフトしていった経緯について語られた。
メディア論的には、新聞というものが「広告収入」を得るようになると読み手が「エリート」から「大衆」へとシフトし、読者の「お客様化」によって記事の質が変わり、市民的な公共性というものが崩れていったということが語られた。
読書日記1131にも書いたが、ビジネスというものが介入すると良い面もあるが悪い面も少なからずあると自分は思わされてしまう。
結局、読むに足らない情報でも読者の興味を引き出せばビジネスになる。根拠がないので(というよりもデータがない)偏見だが、大多数の人は読むに足らない情報や動画に時間を取られている。
格差は小さなことから始まると自分は見ている。
コツコツ勉強した同級生は結局良い大学に入り、立派な会社や研究職などに就いている。
そういうコンテンツを「情弱ビジネス」と成田祐輔氏は言うが、自分もそう思う。情報リテラシーは早めに身につけることにこしたことはない。
自分は学生にその手助けをしたいと多少は思っているが、なかなか良い方法は見つからない。そして安易に人助けを考えるよりもまずは自分のやるべきことをしっかりやろうと思ってしまう。
公開日2023/9/8