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読書ノート4

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アーシュラ・K・ル=グウィン『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて: ル=グウィンのエッセイ』

ページ不明

“私たちの住む、どんどん不安定さを増していく未来志向、科学技術重視の社会では、行くべき道を示すのは若い者であることが多い。彼らが自分たちより年上の人たちに、何をすべきか指図するのだ。そういう社会では、誰が誰にいかなる理由で敬意を払うのだろうか?”

  

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意見とは

人は何を持って「自分で考えた」とみなすのか

例えば識者の見解をまとめることは自分で考えたことになるのか

「分かる」とは何を理解しているのか、何を理解していないのかを明確にし「分ける」ことのできる状態

従って、自分で考えた言明とは自分で発言したメッセージの意味を明確に分けることのできる状態

 

錯覚・・・視覚的な無意識

 

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商売と徳

大江健三郎が亡くなる⇒大江氏の本が売れていく⇒大江氏の希少本が投資の対象になる

ニュースで大江健三郎という人物が文学者だということを初めて知った人が買うきっかけとなる

ある意味宣伝

売れるチャンスがあればその行為が人間的であるか、人の道なのか、それが宙吊りにされる

ここに商売が徳となり得ない側面がある

 

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福祉アートのうしろめたさについて

「上澄みだけすくって作品を作って報酬を受けている」

  

誰かが死んだ、その人の作品を読みたい、ベクトルA

読みたいという人には読ませたい、物を売りたい、ベクトルB

  

ベクトルBはAによって負

※ベクトルについては理解が及ばない点があるので、あくまで比喩として読んでいただけると幸いである

  

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