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読書日記1137

          池田晶子『考える人』中公文庫(1998)

■株式会社中央公論新社

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日記

本屋で立ち読みをした。今年の冬か、もしくは去年読んだ岡田豊『自考』を見つけた。

なつかしい。外国で仕事をした著者の経験から日本についていろいろ批判する本となっている。

世の中は「リスキリング」という、わけの分からない言葉が流通し始めた。

仮に日本が外国に遅れをとっているならば、何故「リスキリング」という輸入語を敢えて使うのだろうか。日本語には語彙力がないのか。そうは思えない。英語をろくに使えない国にもかかわらず、何故か抽象的で訳の分からないカタカナばかり使っている日本。本当に将来大丈夫か、と思ってしまう。

自分は大丈夫じゃないと思っているので、来るべきカタストロフに向けて後悔しないように日々行動している。

正直なところ、寝たまま永遠に目覚めなくてもいいと思う時期もあった。

それでもやるべきことはあるのでやるしかない。

どれだけ本を読もうが分からないことが山ほどある。

『忘れる読書』という本があるが、その意味は分からないでもない。

いわゆる似非科学やデマの類い、根拠のないものは忘れることも必要である。そのための読書というのもあり得る。

言葉には力があるとどれだけ主張してもそれ以上でも、それ以下でもない。

言葉には論理が必要である。情動は思考の起爆力であり、言葉と論理を結びつける。

自分は言葉には力がある、と分かっているつもりになっているかもしれない。

本書を読むとまだまだだと痛感させられる。

まだまだ言葉の力を信じている状態なのである。

信じているつもりということは、実は何もわかっていないということである。

分かるにはどうすればいいか。

言葉の内容を論理で整理し、疑いきれないほどの真理へと研磨させることで達成される。

それには膨大な思考の時間が要される。

哲学は論理なしに成立し得ない。

哲学は言葉遊びではない。概念作りでもない。

公開日2023/9/13

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