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つづきをよみすすめた。
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日記
『実力も運のうち』はようやく200頁弱までたどりついた。
メリトクラシーとポピュリズムについて自分は今まで漠然とした理解にとどまっていたが、本書を読んである程度理解できたように感じた。
自分はトランプ大統領が誕生した頃は新人の会社員だったので政治についてさっぱり理解していなかったが、余裕ができてようやく知る機会に恵まれた。今思えば長時間労働をほど読書の気力を奪うものはない。忙しい方にむけて自分は余すことなく、このブログで公に記録を残したい。
アメリカの保守と日本の保守の意味合いは少し違うというのは山口真由氏の本で少し学んだ。20代の頃によく読んでいた。
アメリカは自由を大きな価値とするので、基本的にアメリカの保守は「小さな政府」を支持すると書いてあったように記憶している。
つまり、能力主義に対する批判は日本のそれとはやや趣が違う。そこが分からなかった。
オバマ大統領が誕生したことによって「努力した分報われる」という寸法が誰にとっても通用するように思われた。しかしオバマ大統領は学歴主義の向きがあり、本書では彼が努力とその報酬に偏重することによって「機会平等」に対する意識が足りないのではなかったのか、という批判が読み取れた。オバマ大統領の側近はアイビーリーグ出身者が大半だったと書かれていた。
また、本書の前半ではお金の力によって裏口入学が横行していたことが書かれていた。
加えて重要なことは、本書は格差が再生産されることのみならず、教育の力を強調することによる弊害である。177項にそれが書かれている。
“最後に、論文の執筆者たちによれば、能力主義社会において大学へ行く重要性を執拗に強調すれば、大学の学位を持たない人びとの社会的汚名を強めることになるという。「教育こそ社会問題を解決する万能策なのだと示唆すれば、社会経済的地位の低い集団が特に否定的に評価される一方、能力主義のイデオロギーが強まるというリスクが大きくなる恐れがある。」” P177
教育が大事なことになんの疑いはないが、問題は教育費だ。
いくら教育が万能策だからといっても底上げできるような、極端にいえば大学まで教育費無償化くらいのことをしないと結局教育の機会に恵まれる人たちが上位に食い込み格差が再生産されることになる。
小坂井氏は『格差という虚構』で能力の差は「格差という虚構」によって作られると主張したが、これは決定論的な立場で考えれば妥当である。これが教育格差の根本的な原因とも言える。ブルデューも「ハビトゥス」という概念を用いて階級の再生産性について『ディスタンクシオン』で論じられている。
「才能」と「能力」については、科学哲学(この観点では心の哲学)的に言えば環境なのか、それとも努力による個人の意志によるのか、結論付けることはできない。まだブラックボックスのままだ。マクロ的に言えば『銃・病原菌・鉄』に書かれているように、環境が全てを決定するのかもしれない。(この本は環境によって政治システムの発展状況に違いが生まれ、それによって文明間の力の差が発生した可能性について考察されたものになっている。) ミクロもその可能性は高いと思われる。
それを薄々直感で感じ取っていたのか、アメリカ人はトランプを選んだ。
本書では、大学の学位を持たない白人の2/3がトランプに投票し、クリントンは学士以上の資格を持つ70%の有権者からの票を獲得したとされる。
つまりトランプは低収入の層から、クリントンは高収入の層に支持され、母数は低収入のほうが多いだろうからトランプに軍配が上がったのだと言える。
いくら自由を尊重するアメリカといえども、その限界が見えてきたのが2010年代だったのだろう。俗に言えば社会は「無理ゲー(どんなに頑張ってもクリアできないゲーム)」化し始めた。
サンデル氏は理想的な政治家について「共通善を熟考し、それを推進する能力のある人間」とした。
・・・
アドルノ伝は面白く、かなり読み進んだ。まずアドルノはショーペンハウアーをよく読んでいたことが書かれていた。
そしてアドルノの結婚観についても知ることができた。アドルノは結婚しながらも子供はつくらないという約束をグレーテルと交わしていた。
およそ100年前に生きた人でさえも、子供をつくることは難しいという意識があったことが読み取れた。
『パラドックスの社会学』では、豊かな国では子供が作りにくく、そうでない国はたくさん作る傾向にあるというパラドックスについて書かれていた。
豊かな社会ほど貧しい。そう思えることが沢山ある。
公共哲学のいう「共通善」とは結局なんなのか。これは考えるほどなかなか見えてこない。だから想像力を養うために文学をもっと読まなければならないと自分は感じた一日であった。
公開日2023/10/5