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つづきをよみおえた。(読書日記1165に収録)
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感想
編集者の駒井さんは難解なカントをできるだけ一般向けに読めるように翻訳者の中山さんにお願いした。中山さんは、それでは本質が抜け落ちかねないと危惧したが、読者目線の駒井さんはめげずに信念を貫きとおした。
自分はこの本が非常に読みやすいことから、この本に対していかに汗と努力がつまっているのか想像することができた。そしてやはり期待どおり、理解できないところは多々あったが最後まで読み通すことができた。他の出版社から出ているものであったら挫折したかもしれない。妙な達成感と満足感を覚えた。
この本を読むきっかけは『実力も運のうち』を読んだことであった。
現代の政治哲学は [ カントの義務論 vs 功利主義 ] の陣営に分かれているということであったが、自分はカントについてほとんど知らないことを自覚していたので読むしかないと思ったのであった。
・・・
本書のまとめは読書日記のほうに既に大部分を書いているので感想を書きたい。
自分はサンデル氏の良いところとカントの良いところを抽出したいと思っていた。
この発想は、共産主義にも必ずなにかしら良い考えはどこかにあると考えた出光佐三の思想による。
カントは普遍性を追及している点、それをどう生かすかはほぼ個人の判断に委ねられる。
カントは「善い意志はひとつしかない」とまでは書いていない。
善い意志というのは必ずしもひとつではないので、普遍妥当性のある法則というものはおそらく複数存在する。カントの研究者がそれぞれ独自の展開をしているのはこの抽象性に起因すると思われた。だから次に自分はサンデルの語る「共通善」という言葉と照らし合わせながら考えた。その前に『依存的な理性的動物』に書いてあったアリストテレスの言葉をメモした。
・公正とは法律にかなうこと、および平等を尊重すること
・不正とは法律に反すること、および不平等なこと
不平等は不正義であることは直感的には理解できる。なので少し考えた。
お金の再分配は正義か?それは不完全である。適切な使い方を知らない人にお金を与えてもむしろ全体としては損害になるかもしれない。そういうのjは表面的な小手先としか自分には思えなかった。だから次は機会の平等を再度考えた。これも『実力も運のうち』で書かれていたように、不完全である。
ということでやはり「承認」という概念が持ち出される。
・・・
自分は承認について考える前に「共通善にカント的な自由を含ませることは可能か?」と考えた。物質的な豊かさに起因する経済的な自由、あるいは物理的な、拘束状態のない自由を保証することで万人に幸福を与えることは可能か。
これも否である。結局のところ、カント的な「自律」がなければ精神的に「不自由」になることを免れない。エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』で描写されたように、判断力に書ける場合、人間はときに自ら不幸に突き進むという自己矛盾に陥る。
そう考えたときに、そもそも「承認」はなんの役に立つのか?と思わざるを得なかった。
承認論は共同体主義と親和性があることを思い出した。自律が難しいのであれば連帯に頼るしかない。だから「承認論」の研究はつづいていると自分には思われた。しかしこの先の考察は今日の段階では行き詰まった。
抽象的になるが、カントの義務論は個人の規範としてはおそらく理想的ではある。しかしやや現実離れしている。なので功利主義的な発想をどこまでカントにまで近づかせることができるか。それを考えるべきなのと思ったのと、もしくは両者は結局相容れない論理でどちらか選ぶしかないのか、その選んだ一方のほうでできることを考えざるを得ないのか、と妥協点を探ることが大事だと思われた
つづく
公開日2023/10/11