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その他数冊
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日記
『無敵のソクラテス』のつづきを読み進めた。
この本はテーマが分かれていて、どこから読んでもすんなりと対話についていけるので重宝したいと思うようになった。
今日はまずアイデンティティに関する話を読んだ。
“自分を何者かであると思っているところのその自分は、何者でもないのでなければならない。それをヘーゲルは「絶対精神」と言うのだ。僕らはクロアチア人、アメリカ人である以前に、等しく精神、何ものにも規定されていない絶対自由なる精神なのだよ。” P205
“一人一人の人間とは、じつは何者でもなかった。それなら、何者でもないところの人間たちによって作られているところの国家なんてものが、何ものかであるはずがないじゃないか。” P206
かなり考え込まれているように思えた。
相対的な精神というものが仮にあるとすれば、それは相対的なのだから何かに規定されている。絶対は相対ではないから無規定。このことを意識することによってのみ「アイデンティティ」が相対的な、不自由な精神であるということが語られた。
虚構についてのこの考え方は社会学者の小坂井氏に似ているように思われた。
「日本人としての」アイデンティティとは。
突き詰めれば、そもそも人種というものは還元不能な概念であることが分かる。DNAレベルで遡及すればいずれ類人猿にたどり着くだろう。国という「取り決め」と遺伝的な差異との間には因果関係というものがない。これはイデオロギーのようなもので、結局「虚構」ということになる。こういう考え方は社会学的には非常識かもしれないが、池田晶子は本質を突いていると感じた。
次に、ソクラテスが運命との向き合いかたを語る。
“エコロジスト 何もかも運命として諦めろとおっしゃるのですか。個人の意志は全体の歴史には無力だと?
ソクラテス いや、僕はそんなことは言っていない。自分の人生の何もかも、全体の歴史における運命と知ること、そこに個人の意志があると言っているんだ。” P45
だいぶ割愛してしまったが、このくだりは環境問題の話から始まる。
エコロジストと名乗る人物が、環境を大事にしようと訴えているが、ソクラテス式問答の末、それはエコロジストによる価値観の押し付けであることがソクラテスによって暴かれる。
人間は環境に対してなにをすべきか。話は深くなる。
結局、話は「権利」に収斂していく。ああ、SDGsと同じだなとすぐに思った。
そこには常に「お金」も絡むだろう。
お金が絡むことでいかにややこしいことになるのか、世の中の縮図のように思えた。
このくだりを読むと、エコロジストと名乗る人物がいかに自己中心的な人間なのかが分かる。これは戒めでもあるかもしれない。自分も読んでいて少し不安になってしまった。
・・・
『現代哲学の最前線』を読み進めた。
仲正氏はハーバーマスの「コミュニケーション的理性」が、ロールズの「重なり合う合意」と共通するものがあると語る。話し合いを通じてお互いが大事にすべきものが絞られてくるという点にある。さらにヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」とも重なるという。
” “真理 “とはある言語ゲームの規則に基づく、プレイヤー同士のやりとりの帰結にすぎないことになろうーー先に見た、ハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論に通じる見方である。” P87
しかし、考えが理系寄りの、政治に冷笑的な人は「そんなことしても無駄」と切り捨てるかもしれない。実際、自分も多少そう思えてくる。
そこで「承認論」というものがこの問題に関する解決の道すじをある程度示し、評価されて現代哲学のテーマのひとつとなっているということであった。
池田晶子がこの議論を見ていたら「勝手にどうぞ」と思うかもしれない。
相容れない人間たちの集団でいかに均衡を保つことができるか。
「承認論」にヒントが隠されているかもしれない。
・・・
『サステナブル・ミュージック』は哲学的な話が多いので個人的に面白い本であった。
ドゥルーズ+ガタリのいう「領土化」「リトルネロ」の説明をメモした。
人は歌ったり踊ったりして、混沌とした世界に自分の居場所を見つける。それを「領土化」とドゥルーズらは呼び、この領域でなんらかの反復によって形になることを「リトルネロ」という。
リトルネロが運動性を求めてカオスに向かって開かれることを「脱領土化」といい、「領土化」と「脱領土化」の繰り返しによって生成変化していく運動のことを「芸術表現行為」というそうである。ふーん、としか思えないが一応知っていることに越したことはないのでメモを残した。
・・・
『古典力』では、斎藤氏が引用しながら読むことを勧めている。
引用をするとアウトプットの質が上がると自分でも日々感じている。
むしろ引用したいと思える文に巡り会いたいから読む、という読み方によって開ける。
これは鈴木涼美氏が『娼婦の本棚』で言っていたこととピッタリ重なる。
自分も引用をもっともっとしていきたいと思う。
つづく
公開日2023/10/17