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その他数冊
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日記
『判断力批判 (上) 』もいよいよ後半に突入してきたところだろうか。正直なところ、考察が崇高の分析論に移行してからは理解に及ばない。うなずけるような文章に遭遇した時にはメモをするという読み方でいいと自身を納得させた。
読んでいてすぐに浮かぶ疑問というのは、「崇高とは端的に巨大なものを指すのか?」であった。
“そこで崇高さが感じられるためにはその大きさが美的に評価されていなければならない。” P251
というふうに書いてあったので、美的かつ大きなものという認識でいいのだと思われた。
つづいて第二七節の文章をメモした。
“このように崇高なものに対する感情は、美的判断における大きさの評価のために働いている構想力が、理性による評価に適合しないためにわたしたちが不快な感情を抱くことによって生まれるのであるが、その際に同時に快の感情が生じるのである。” P257
このあたりの論考を読んでいてもなかなかに抽象的で把握しづらい。
美的なものが巨大化した、人間はあまりにも巨大なものに対して小さな存在にすぎない、故にその自然の持つ人間に対する超越性のために心が「動揺」してしまう。この動揺が不快な感情のことを指すと思われた。
崇高の分析論に答えはないだろう。『判断力批判』とはしばらく付き合いが長くなりそうだ。
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『無敵のソクラテス』を再読して三日目。
今日は哲学と科学の付き合いかたについて語られた。
「哲学の発展には科学の発展が必要だ」という主張に対して、池田晶子はソクラテスに語らせる。
“いやそれは違うな。哲学は何も築くものでもないな。また、とくに新しくなるものでもないな。” P384
池田晶子の本をいくつか読めば何回も書いてあるのが現代思想、とくに「ニューアカデミズム」への批判である。あれは哲学ではない、というふうに『考える人』に書いてある。
哲学を科学的に考える立場を自然主義というみたいであるが、池田晶子は最後まで考えを変更しなかった。
“「自分とは何か」と問うことができるのは、自分が自分であると知っているからでしかないじゃないか。” P386
“当たり前のことに気づくより、難しいことはないもんさ。” P387
意識が脳であろうが、免疫機能にあろうが、「自分とは何か?」と問うのは常に自分でしかない。科学がどこまで発展しようが存在の形式は変わらないという池田晶子のメッセージであった。
また、池田晶子による哲学者批判も「名指し」で展開されるので、いかに池田晶子が本気で文章を書いているのかが伝わる。
いまや哲学、文学界隈で、著書を通して名指しで批判する本はなかなかいないだろう。
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キルケゴールは「神学」「キリスト教」のイメージが強くしばらく敬遠していた。
今回は面白そうな本があったので読んでみることにした。
この本の著者によれば、キルケゴールは世界の混乱している状況に対して、その原因は神の権威が失われてしまったことだと見ている。
信仰なしに世界の秩序は保たれるか。究極の問いである。
キルケゴールは一時キリスト教から離れたようであるが、親の死をきっかけに牧師を目指したと書いてあった。
なかなか本質を突いた言葉をキルケゴールが残している。
すぐにメモした。
(キルケゴール)
“人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠的なものとの、自然と必然との総合、要するにひとつの総合である。” P39
(キルケゴール)
“永遠なものに関しては年齢は何の正当性にもなりません” P43
(キルケゴール)
“この地上の生の不完全さ、その地上性は、まさに義しい者と義しくない者との違いを示すことができないところにあります。(・・・)誰が義しい者なのか、誰が義しくない者なのか、見通しがたい闇が覆っています。義しさは、人間が自分で見いだしたものであるように思われ、多くの人間がそう思うものが義しいものだということになります。” P51
著者は自分と考えを分かち持っていた。
現代は相対主義の考えに陥りがちである。だからといって安易に絶対主義に傾くのもそれは怖くもあるが、相対主義は思考停止に陥ることが危惧される。法律を守っていれば何をやってもいいというメッセージにもなりうる。この本は深い。50ページほど読んで疲れてしまったが、頑張って最後まで読んでみたい。
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『虚人たち』はあまりにも文章がしつこい。
1分の出来事に5000文字くらい使っているのではないかと思われるくらい、言い回しが凄い。これはある種の才能であることは疑いないが、読んでいて現実なのか夢なのか理解不能に陥る。
ベルンハルト『消去』を思わせる小説だ。
ところどころ魅力的な表現が見受けられる。見習いたい。
つづく
公開日2023/10/17