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読書日記1179

          梅棹忠夫『文明の生態史観 改版』中公文庫 (1998)

■株式会社中央公論新社

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その他数冊

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日記

明日から執行草舟『現代の考察』を再読することにしたので文明に関する本をもう一冊読んでおきたいと思った。

『文明の生態史観』のなかで著者はトインビーに触れている。

トインビーがいうには、世界にある6つの文明のうち、5つは崩壊に向かっているということであり、そこに日本が含まれているということであった。そして崩壊しないのは西欧だけだという。

梅棹氏はそこに異を唱える。そして独自の文明観を語る。

まず本書のなかで「文明の生態史観」の定義について書かれていた。

文明の生態史観とはサクセッション理論と同じだと説明された。

サクセッション理論とは、一定の条件のもとで、共同体の生態様式が一定の法則で進行するというものである。

歴史のなかの出来事とから帰納的に普遍的な法則を導いていく。

先進国を「第一地域」、ソ連や中国、ユーゴスラビアなどは「第二地域」と区分けすると、前者は革命をさっさと済ませている点、そして封建制があったという共通点が浮かび上がった。

” (・・・) つまり第一地域というのは、封建体制のあった地域なのだ。第二地域は、それの裏がえしになる。第二地域では、資本主義体制は未成熟である。すくなくともいままで、高度資本主義国になった例はひとつもない。” P114

“(・・・)いまこころみている方法は、比較によって歴史における平行進化をみつけだすという方法である。そしてじっさいは、わたしの頭のなかに、理論のモデルとして、生態学理論をおいている。” P118

梅棹氏もアナロジーの思考法を用いている点に自分は着目した。

ある分野の理論を他の分野に当てはめ推察する。アナロジーは非常に面白い。

自分はこのサクセッション理論というものが個人の人生にも当てはめることができるように思われた。

成熟するための人間の条件。説教臭いが、普遍的な法則があるように思えてならない。

そういうことを書いている本は多いだろうし、プラトン『国家』もある意味人生論だ。

・・・

ドーキンス氏の本は非常に面白い。前半は科学と倫理を接続する内容となっているように思われた。

“遺伝子の存続こそダーウィン主義の究極の価値です。” P60

自然淘汰に適応できることが最も優先されるべき目標である、と。

であればダーウィン主義者にとって「品種改良」によって人間を「改良」することは、科学的には「正しい」が、倫理的には「正しくない」ということをドーキンス氏は語る。

現に、人間は野菜や動物に遺伝子操作を加えている。

では何故人間には改良が許されないのか。冷静に語りかけるところが少しゾッとする。

ドーキンス氏はヒュームの法則にも言及した。

「~である」から「~べき」を導くことはできない。

であれば次に「価値観」について科学しよう、という具合に話がシフトしていく。

科学的には人間を改良することは正しい、でも倫理は許さない。それは自然の摂理としてはおかしいのでは、とドーキンス氏が間接的に訴えているように自分には感じた。

ドーキンス氏は進化とコストについて語る。

進化には負の遺産もある。身体には進化の名残りとして「それいらなくね?」と思われるような箇所もある。

自然は何故そのようにしたのか。

自然の持つ「価値観」とはどういうものなのか。ドーキンス氏はさぐる。

おそらくドーキンス氏は倫理のメカニズムを科学しようとしている。

人間の倫理に欠陥があれば科学的に改良すればいい、という企みがあるように思われる。

読んでいて少し不快である。しかし何故不快になるのか。進化論的に生得されたこの心理の仕組みに欠陥はあるのか。

ここで話は進化心理学と接続された。

「抑うつ気分は何のためにあるのか?」

読んでいて考えさせられる。なのでページの進みが遅くなってしまうが、この本はなかなか面白い。

公開日2023/10/24

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