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日記
老人は人間が機械と同じだと青年に語りかける。
人間の心、行動、思考はどこまでも「外部の力」の作用によるものであって、自由意志というものは無いという。
青年はそうは思えなく、その主張に反論して老人と議論が交わされていく。
監視社会が近づきつつある今日、ひとつのディストピア文学として現代の問題と結びつけられる本だと思われる。自分は他人事のようには思えない。
自粛警察という言葉があった。
また、マスクをしていない人に対する差別的な発言なども問題になった。
法務省のHPにもそのことが書かれている。
お互いがお互いを監視し合うのは、アウシュヴィッツのゾンダーコマンドに見られた。
人間は生死の危機に晒されるとお互いを監視し合うようになりやすいように思われる。
今は自粛警察に関しては収まったが、なにかあればすぐに晒されるネット社会では、晒すという行為が監視という行為とほぼ似ているようにも思えてくる。
街中に監視カメラ(何故か「防犯カメラ」と名前が刷りかわっているが監視カメラに変わりはない)が張り巡らされ、それが悪いかどうかは分からないが日々監視されているということは事実である。
程度の問題であって、いずれ超監視社会が来る可能性もある。
・・・
老人はとにかく意志というものを否定しにかかる。
例えば、救助行為でさえも例外ではないと語る。
老人は、見ているだけでじっとしていることに耐えられないから人間は助けにいくと主張する。
“人間って奴の行動ってのは、終始一貫、絶対にこの唯一最大の動機ーーすなわち、まず自分自身の安心感、心の慰めを求めるという以外には、絶対にありえんのだな。” P31
全ての行動は心の満足へのプロセスであると老人は主張した。
今日は時間が足りずいったん60ページほどまで読んでストップした。
・・・
社会学者、小坂井氏の『責任という虚構』と似たような話だと感じた。
自由意志の発生源を特定しようとすれば、時間軸上、結果と原因は無限に連続していく為胎児にまで遡らなければならない。
だがそれでは責任の所在を否定することになってしまうのでどこかで妥協点を探さなければならない。社会が責任を正当化する必要から虚構が作られるという論理であった。
これもに似たようなことで、結果と原因が無限に連鎖するプロセスの外側、つまり「自由意志」というものはいったいどこにあるのか?というのが老人の主張なのである。
自由意志関連の本はかなり読んできた自負はある。
その問いを突き詰めるのにあまり生産性や意義を自分は感じない。
しかし、日々の行動を内省する際に、どこか機械的に行動していないか、と批判的に吟味するきっかけとなり得る本書は読む意義があるかもしれない。
公開日2023/10/27