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読書日記1186

     飯田隆『規則と意味のパラドックス』ちくま学芸文庫 (2016)

■株式会社筑摩書房

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日記

昨日は「存在の形式と内容は矛盾する」という池田晶子の書いた命題をヒュームの法則と照らし合わせて考えた。

朝、自分で書いた記事を読み直した。論理に飛躍がありそうだが、そこまでピント外れでもなさそうに思えた。

『無敵のソクラテス』には、昨日自分で考えたことと同じことが書かれていた。

数学は存在の形式を投影したものだと自分は書いた。池田晶子は以下のように書いている。

“最近の人々が感性と対立するものだと思っている理性だ論理だなんてのは、そのでっかいロゴスのごく一部にすぎんのだよ。” P218 (『無敵のソクラテス』)

プラトンの本を何冊か読んだが、情動は理性によって抑制しなければならない、とソクラテスが言っていたと記憶している。度々出てくる「節制」という言葉はそのことを指すと自分は思っている。

ということは、感性と理性は対立関係にあると考えても問題はない。

『道徳的実在論の擁護』を立ち読みした。

時間がなかったのであまり読めなかったが、事実と価値についていろいろと書かれていた。

価値は主観的なので意識に関する学問である現象学がそのヒントになるように自分には思われた。

事実は科学哲学などを読めばある程度は掴める。

立ち読みして思ったのは、分子が原子へ、原子が素粒子へと細分化されるように、議論も永遠と細分化されて、その流れを追うのは途方もない時間がかかるだろう、というある種の絶望感であった。

ハイデガーやサルトルを読む気には全くなれないが、ウィトゲンシュタインは今自分が考えていることに近いトピックを扱っているように思えた。

本屋をうろうろしていると、自分が何に反応するのかが客観的に分かるので有意義な時間を過ごせる。

リチャード・ドーキンス⇒デヴィット・ヒューム⇒ウィトゲンシュタインという流れになってきた。

また、池田晶子と執行草舟氏と岡本太郎と小室直樹の共通点もだんだんと浮かび上がってきた。

あらゆるものを巻き込みながらそれぞれの考えを取り入れ、弁証法的に新しい視点を持つことができるような気がしている。

執行草舟氏の本を読み、岡本太郎の本を読み、池田晶子の本を読み、小室直樹の本を読んで分かったのは、ただ無目的に目の前の本を全力で読むことに価値があるということだ。目的や目標は人間の本質ではない。『無敵のソクラテス』にはそういうことがかかれている。

無目的にだらけることではない。

本を買うためには勿論全力で仕事もしなければならない。

行動的禁欲の精神で明日も本を読む。

公開日2023/11/1

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