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読書ノート9

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12月22日 西暦不明

苦悩は二種類に分類できる

・肉体的苦悩

・精神的苦悩

さらにそれが量的、質的に区別される。

精神的なものに関しては質的なものがそのまま量的なものを決定する場合もある

例 親族の死

量的、質的、いずれにせよ過度なものは「病気」として分類される

すると、思うに医師の力によっても解決することのできない類の苦悩の存在も認めることができる。しかしそれは質的、量的に弱いものである

※生命の危機というものではないという意味で、弱いものだと一般には考えられているもの

例 人生に対する失望

  

※なぜこんな文章を書いたのか、自分でもよくわからない。そして思い出せない

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×月×日

見世物としての芸術 ≒ 自己満足としてのファッション

 

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×月×日

引用元不明

“日々のつまらぬ慣習以外には、何も期待しても無駄だということ”

  

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「美 ≒ 人間の主観」のように思えなくもない。うつの根本原因は結局のところ、全体として美しくない社会、そこに閉じ込められているというある種の傲慢、失望、エゴでないかと思う。つまり余計な美意識のない人にとって、この文脈状においては、ある程度社会に対する失望を回避できているという意味である

※いま読み返しても、なにか思い詰めている様子がつたわる

  

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美は均衡状態なのか

 

静けさ ≒ 均衡

精神的な安定=身体(全体)の均衡

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