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つづきをよみすすめた。(読書日記1193)
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日記
『彼女は頭が悪いから』は220ページまで読み進んだ。
明日は休日なのでいっきに最後まで読んでしまいたい。
思ったことなど、感想は全て明日に持ち越したい。
・・・
『ベンサムの言語論』は100ページ弱まで読み終えた。
今日は、ベンサムとヒュームの理論の相違について読んだ。
結論から書くと、ヒュームの道徳論は「功利主義と独断主義の折衷理論」であり、ベンサムはこの「独断主義」を批判しているところから、この点に二人の理論に違いが見られた。
本書によれば、ヒュームの考えでは「善意」というものはその結果に問わず「善い」ものだと考えていた(=感情主義)のに対し、ベンサムは「行為」にのみ、そしてその結果がよかった場合に比例して有益性が発生すると考えていた。
ベンサムは名指しでヒュームを批判しはしなかったが、著者は「ヒュームへの批判と考えられる」とのことであった。
“つまり、ベンサムからみて、ヒュームの道徳科学はその基本的な要素として、語の意味を明確に指し示す適切な「形而上学」を展開することに失敗している点に最大の難点を有するのであり、何よりそれがためにベンサムはヒュームのことをーー彼こそ、道徳科学の領域において「実験的推論の方法」という適切な方法論の導入を企て、かつまた、その結果として、道徳の根本原理たる「功利性の原理」を最初に発見することができた偉大な先駆者であるという認識は有しつつもーー「道徳界のベーコン」とみなすことはできなかったのだ。また翻って、「道徳界のニュートン」たらんとしたベンサム自身は、彼の言語論や論理学上の知見に依拠しつつ、そこで用いられる重要な諸概念の明確な定義・分類・体系化に基礎を置く点に特徴を有する道徳科学の構築を企図したのである。” P87 (『ベンサムの言語論』)
ベンサムは政治上の問題を、言語の意味の厳密な定義付けから解決を見出した点においてヒュームと異なる。
「パラフラシス」によってあらゆる概念をフィクション的実体以外がどうかを振り分け、フィルターから外れた概念は実体を伴わない(快楽か苦痛に還元されない)ので架空の概念だと切り捨てる。
合理的であり基礎づけががっしりしている印象を自分はもった。
しかしひとつ共感、もしくは理解できない部分があった。
「最大多数の最大幸福」とトロッコ問題の関係性について思うことがある。
普通に字義通り受け止めれば「助かる命が多いことに越したことはない」という理解になる。
それが功利主義の本質とは違うかもしれないが、「最大多数の最大幸福」という言葉のニュアンス的には、だいたいの人にそう受け止められると自分は考える。
であれば功利主義は、トロッコ問題のいかなる問題(例えばスイッチだけでなく、トロッコを止めるには人を突き落とす必要がある等)であれ、助かる命が多いほうに答えを出すのである。
例えば、現実的に考えると、ある危険な作業をしているとき、それを多数で行う人は単独で行う人たちよりも命が優先される状況になる。
原理的には絶対にそうなる。それが最大多数の最大幸福という意味であれば。
しかしその原理に自分は人間性を見出すことはできない。
この問題に対してどうアプローチをするのか。
ここについていろいろと知りたいことがあるのでしばらく功利主義について読んでいきたい。
つづく
公開日2023/11/10