■株式会社筑摩書房
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日記
池田夏樹氏の本に『いつだって読むのは目の前の一冊なのだ』というものがある。(ちょっと分厚い)
自分も最近それがなんとなく分かるようになってきて、やはり読むのはただ目の前にある一冊なのである。
とりあえず読み、そこから問いかけが生まれる。そして書店に行けば自ずとその問いかけに反応する本の前に立つものである。
こういうことは様々な人が言っている。自分も同意する。目の前にある本。しっくりくる。
・・・
午前中からいきなり『討議倫理』を読んだのはちょっと失敗したかなと思いつつも、実はやや寝不足だったので睡眠薬がわりになったので結果オーライとしたい。(内容はほぼ頭に残らず)
そのあとに『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』を地道に読み進めた。
300項までたどり着いたが、端的にこの本は長い。長すぎるので全体像は捉え損ねている感覚がある。
それでも軸になるところだけはしっかり押さえられたと感じている。
メモ
”しかし最近の一〇年で、互恵的利他主義は人間以外の種にはそれほど簡素に見出せないと、進化論研究者は認識するようになった。” P281
(暫定的ではあるが、という意味で)
“(・・・)私たちが集めたデータに見られる政治的な平等への関心は、相互依存への欲求ではなく、抑圧に対する憎悪や、犠牲者への気づかいに関係していることに気がつき始めた。この結果によって、政治的な平等の希求は、<公正/欺瞞>ではなく<自由/抑圧>、および<ケア/危害>基盤に依拠していることがわかるが、それに誤りがなければ、<公正>基盤は、平等と関するものだということになる。” P285
⇒道徳心理学的にリベラルは不正解と言いたいわけなのだろうか。
“保守主義者の大学教員に比べると、リベラルの教授は学生の成績を評価する際に大きな差をつけないという細心の研究報告もある。” P290
8章まとめ
投票は信念からというよりも道徳的な関心によって行われている(無意識なレヴェルからという意味で)
・・・
『悲願へ』
メモ
“高度経済成長は、自然に起きたのではないのだ。そこには、多くの松下幸之助がいた。松下幸之助とは、目に見えぬものを信じた日本人たちの代名詞なのである。” P15
さすがに10冊ほど執行草舟氏の本を読んできたのである程度同じことが書かれている。しかし良い意味で、それは著者の意見がぶれていないことの裏付けともなる。実際、好きになった作家はところどころ似たようなことを書くものである。
騎士道と武士道は野蛮性を持っていて、それが菌と関係があるというのを『生命の理念』で自分は学んだ。そのことについて本書でも触れられていた。前提知識があったのですんなりと頭に入ってくる。
崇高と野蛮性が弁証法的に無限の回転を可能にするのだという。無限の回転とは、つまり無限の活力のことを意味すると自分には思われた。
メモ
“もともと、自分のことを善人だと思うような人は、馬鹿しかいないということが常識だったのです。これは、本当に昔からそうだった。” P34
いい人はモテない、ということを自分は学生時代に痛いほど学習、経験をしたが、いい人というのはつまり野蛮性(≒不良性)の欠如であって、活力が足りないということなのかもしれない。
今日はさらっとしかよんでいないので、松下幸之助のどのあたりに野蛮性が見受けられるのか、そのあたりはまだ不明である。
・・・
『「批判」の政治理論: ハーバーマスとホネットにおける批判の方法論』
メモ
“「政治的に重要な規範はどのようなものであれ、それが妥当であるとは、支配から自由なコミュニケーションにおいて達成された含意に依拠する」” P38
木前利秋「理論家は参加者を啓蒙する権威を持つことはできない理由で、ハーバーマスは参加者の直観の再構成に理論を限定するようになる」
⇒著者”しかしながらこうした解釈は、言語論的転回以後のハーバーマスの理論はもはや社会的病理を批判する理論ではなく、批判は討議理論の中に完全に回収されてしまうという主張を許すことになる” P40
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『終わりなき対話 III 書物の不在(中性的なもの・断片的なもの)』
読書について語るブランショ
メモ
“本質的に不幸なものである創造が、本質的に幸福なものである読書のきっかけとなる。書物とは、ともすれば昼へと転じるかもしれぬ夜である。照らし出されることのない黒い星でありながら、他のものを静かに照らし出す。読書とは、この静かな光のことである。照明の秩序にはないものを、読書は光に変える。” P69
つづく