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読書日記1213

          一ノ瀬正樹『確率と曖昧性の哲学』岩波書店 (2011)

■株式会社岩波書店

公式HP:https://www.iwanami.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/Iwanamishoten?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eautho

その他数冊

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日記

論理実証主義者カルナップから影響を受けたエイヤーの本をもう少し読み進めることにした。

エイヤーから命題と真理の在り方についていろいろ学びたい。

本書は、カントがア・プリオリとみなした事実の外側と内側(=認識可能な世界の境界線)の区別に関する考察から始まる。

メモ

“仮説は、それが決定的に検証されえないと同様にまた、決定的に反駁されることも出来ない。” P22 (『言語・真理・論理』)

言葉をいじくりまわすことによって虚偽が生まれる。

換言すれば、虚偽が生まれる余地を言葉の世界は許容している。

エイヤーは属性と存在を区別する。

例えば「怒り」というものは存在ではなく、存在の「状態」である。

エイヤーによれば、「属性命題」と「存在命題」は文法的に同じかたちをとるため、この二つが論理的に同じものだと思い込んでしまうという。

いったん『言語・真理・論理』を閉じて『確率と曖昧性の哲学』へ。

ジョン・サールが似たことを考えていた。

彼は事実を二種類に区別した。

・なまの事実

・制度的事実

前者は「あの家はあの家のとなりにある」「私は気分が悪い」といった知覚的、感覚的な事実であり、後者は「あの人はあの人の夫である」というように、感覚から由来するものではなく、社会的な制度に由来する事実である。

自分なりに一ノ瀬氏の本とエイヤーの本を同時に読みながら命題の深みに入り込んでいきたい。

メモ

“すべてを覆うことのできる概念は、情報量も説明力もゼロなのである。” P14

・・・

数論は論理実証主義と部分的に問題を共有していて、結びつけて読むと面白い。

いま現代人が享受しているテクノロジーは、過去の偉大な人たちによる知の結晶だと思うと、遠い昔の人間でさえも、時間的なつながりを感じる。

つづく

公開日2023/11/30

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