■株式会社青土社
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その他数冊
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日記
『ヴェトナム (上) 』
高校生の時は数学と化学をメインに勉強していたので、自分は全く世界史の知識がない。この本を読み込んで1960年代前後の世界的混乱を読み解きたい。
と思いながらも結局本を読みたいだけだということは内緒である。
ヴェトナムがフランスに占領されていたという歴史を知らなかった自分は、1960年代、フランスの五月革命がなぜ起きたか理由を知る術もなかった。本書を最後まで読むと点と点が繋がっていくだろう。
これが世界的に影響を与え、佐藤優の『私のマルクス』や三島由紀夫の、全共闘との東大で行った論争などと話が繋がっていく。
56ページには、フランスが第二次世界大戦でドイツに侵攻されていろいろと苦い思いを味わったために、その反動でヴェトナムの占領への動機が高まった可能性について書かれていた。
“フランスが都市部からヴェトミンを排除したため、彼は仲間とともにデルタ地帯の農村部に拠点を置き、ゲリラ戦を開始した。これに対し、植民地勢力は逆襲で応じた。いずれ破綻するようなこんな抑圧策をフランスが採用したのは、第二次世界大戦における屈辱が大きく影響していた。” P56 (『ヴェトナム (上) 』)
しかし、当時ヴェトナムの北部では中国に侵略される危険性もあったという。
フランスはヴェトナムにとってある意味、中国からの攻撃に対する盾となっていた。
とはいいつつも、フランス軍のやったことを見るとどちらが悪なのかは全く分からない。
“世界中の道徳的閾値が異常なほど低下していたため、ヨーロッパ列強がそんな死体の山を築いてもほとんど問題にされなかった。” P56 (『ヴェトナム (上) 』)
アルジェリアでイスラム教徒が反乱を起こすと、フランス軍は応酬として結果的にとてつもない数の現地人を殺してしまったとされる。
マダガスカルにおいても同様なことが起きたとされる。
白人と一括りにしてはいけないのは分かっているが、当時の白人の道徳には嫌悪を超えたものを感じる。
・・・
『正義から享楽へ』
宮台氏がいうには、黒沢清監督や押井守監督の映画はメタファーとして、様々な解釈ができ、彼らの映画には重要なヒントが散りばめられているという。
黒沢清監督の映画の特徴を「説明よりも想像を=黒沢モード」と呼び、黒沢清監督の無意識には「映画で説明することを嫌い、映画で想像させることを好む」性質があると語る。
この文脈のなか、今自分が関心を持っている「神なき現代社会でどう生きるべきか」のテーマについて触れられた。
このあたりを読んで、初期ロマン派と呼ばれるドイツの文学者、詩人たち(ノヴァーリスやヘルダーリンなど)がこの神なき世界でどうすべきか、という問題意識を持っていたことを学びとった。
“初期ロマン派 特に、デカルトを踏まえたカントの批判哲学以降の初期ドイツロマン派を指す。フリードリヒ・シュレーゲルやノヴァーリスなどが代表的。” P119 (『正義から享楽へ』)
また、神なき世界のあるべき全体性、または根底のことを「隠れた神」と呼ぶそうである。
“隠れた神 17世紀以降、自己は確たる根底=神を失い、ドイツの詩人ヘルダーリンは地上から神々が逃げ去ったと歌った。こうした歴史認識のなかで、あるべき全体性または根底、「隠れた神」の模索がおこなわれた。” P119 (『正義から享楽へ』)
このあたりは金沢大学教授、仲正昌樹氏の専門だと思われるので、時間があれば氏の修士論文『モデルネの葛藤』にも挑戦したい。
・・・
『文化と神の死』
個人的にこの本を読んで、本書はモリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ』と同時に読むことでさらに理解が深まるだろうと思われた。
デカルト以降の時代の認識論の変異について細かく書かれていた。
メモ
“ジョン・ロックの教え、すなわち精神は本来<白紙>であるという教えは、<原罪>という亡霊を放逐するために利用することができたし、そうすることで男女を原罪ゆえに生まれながらにして欠陥ありとする考え方に対抗して、男女を徳高い人間に鋳なおすことのできる社会工学に全幅の信頼を寄せることになった。キリスト教徒にとって罪であることは、理神論者にとっては、すべての誤解のなせるわざにすぎなくなったのだ。” P28-9 (『文化と神の死』)
メモ
理神論・・・・神の存在を認めるが、奇跡や啓示の存在を否定し、宗教を合理化・世俗化する理性宗教をめざした合理的有神論。
弁神論・・・・ライプニッツが初めて用いた語で、今ある世界は、数ある可能性のなかで神が選んだ最良の世界であるが、その世界に悪が存在するのは、世界の創造者である全能な神の善性と矛盾するものではないことを擁護・証明するもの。
二重理論・・・矛盾する二つの命題があるとき、哲学的に一方が真理であるとき、他方は自動的に虚偽となるのではなく、他方も宗教的信条によれば真理となることもあるという考え方。
・・・
今日も地道に集合論を勉強した。
命題p:私はあなたにメールする
命題q:あなたは私にメールする
であるとき、
(i) 「私はあなたにメールするが、あなたは私にメールしない。」という文は「私はあなたにメールし、かつあなたは私にメールしない。」と同じで、
p∧¬q
(¬は「否定」の意)
となる。
メモ
否定の否定は同じ(同等)
¬(¬p)⇔p
この流れで高校数学Aのド・モルガンの法則を復習した。
次に真理値の項目を勉強。
自分がこのブログでよく使っていた「トートロジ(=同語反復)」という言葉は、数学上で「恒真命題」と呼ばれることを学んだ。
恒真命題・・・命題変数の真・偽に関わらず常に真理値が真となる論理式のこと。
例)論理式F(p,q)
{T,T}{T,F}{F,T}{F,F}の4通りが得られる。
常に真(=T)ではないので、論理式F(p,q)はトートロジーではない。
(とりあえず書いて覚える。)
難しいかもしれないが、ラッセルのパラドックスや、他のパラドックスも数学的にある程度理解できるようになりたい。
つづく
公開日2023/12/4