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読書日記1220

西村拓生『「美と教育」という謎: プリズムとしてのシラー『美育書簡』』東京大学出版会 (2021)

■一般財団法人東京大学出版会

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日記

秩序というものは、崩れて初めて認識されるように(例えば震災が起きたときに日常の何気ないことが重要に思えたりする)、美においても、生においてもそれと似たようなことが言えるのだろう。

前者の美に関して言えば、そもそも自然という存在、進行する化学的プロセスというものは完全なもので、しかし人間はそれを美しいとは普段思わない。

あまりに当たり前すぎると人間は意識から外れる。

芸術家はこの秩序に亀裂を与える存在なのかもしれない。

後者の生に関して言えば、病気になれば元気だったときがいかに幸せだったかを痛感するものである。しかしどうなのだろうか。プラトンはたしか『国家』だったろうか、この「マイナスからゼロとしてのプラス」については善ではないと否定した。

功利主義は快楽主義だと思うのは今も変わらない。

全てが快楽に還元されるものを良しとする風潮、社会はどこか人間の尊厳を貶めると思ってしまう自分がいる。

極限状態におかれては生への執着が何倍も跳ね上がるのは理解できる。

だがしかし。なぜその状態になるまでに生の有り難みをその瞬間まで感じきれなかったのだろうか。感じきった人間であれば潔く受け入れ、死ぬことが美であることもあるかもしれない。

分からない。

想像を超えることは、沈黙を強いられる。

公開日2023/12/7

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