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新・読書日記122

     マイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』ちくま学芸文庫(2021)

■株式会社筑摩書房

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井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門』毎日新聞出版(2015)

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    柄谷 行人 (著), 浅田 彰 (著)『柄谷行人浅田彰全対話』講談社文芸文庫(2019)

■株式会社講談社

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日記

コンプラコンプラとうるさい世の中になっている。しかし自分が感じている生きづらさとはややベクトルが異なる。それでも部分的に行き過ぎたコンプラが世の中をつまらなくしているとは感じている。

しかしなかなか難しいもので、つまらないこととが結果的に全体を不幸にするのかというと、そうでもないように見える。このような考え方はベンサムと似ていて、結局いきつくところは功利主義になってしまう。

単純に快を増やし、苦を減らす方向で考えていくと、人間の尊厳だとか存在理由というものが半ば物質的なものの基準によって規定されることになる。悪く言えば動物的な発想で、21世紀の人間が目指すべき方向とは思えない。

今、読んだことを思い出しながら感想を書いてみるとざっとこのようになった。

何事も良い面と悪い面がある。リベラルにも良い面と悪い面がある。問題の本質はなんだろうか。

ひとつに、リベラルはまとまりがなく、両立不可能なものを求めているという指摘があった。

  

メモ

『リベラリズムとは何か』

リベラリズムはジョン・ロック(1632-1704)の頃に萌芽

“一九世紀のあいだ、所有と蓄財への権利はーーーロックが展望したものよりもはるかに広範にーーーその地位が高められ、社会と国家の繁栄の必要条件として再公式化された。こうしてリベラリズムの主流派は、個人、所有、富のつながりを強調したのである。” P78

  

“(・・・)いまやリベラリズムは、他のイデオロギーと同等の地位にまで格下げされてしまった。すなわち、主要な社会的・政治的課題が互いに衝突し、対処が困難であるように見えるとき、リベラリズムの諸概念をどのように駆使しても、もはや決定的で恒久的な解決を提示できないのである。” P95

  

・・・

『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門』

再読。著者はリベラルを自由主義と訳すのではなく、正義主義のほうが良いと語っていた。

確かにそう思えた。リベラルの批判対象はジェンダーの不平等であったり差別、格差である。自由と平等の両立は非常に困難に思えるが、その根底には道徳的な信念があることが『社会はなぜ左と右に分かれるのか』にも書かれていた。

  

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