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苫米地英人『日本転生 絶体絶命の国の変え方』読了 + 読書日記1236

    苫米地英人『日本転生 絶対絶命の国の考え方』TAC出版 (2023)

■TAC株式会社

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感想

全体としてはAIや軍事といった、技術的な話がメインだったのでその分野に詳しくない自分としては身に付かず参考程度にしかならなかったが、宮台真司氏や内海聡氏といった論客のような虚無主義的な側面を見せず、常に前向きな意見を述べたり、前向きな提言をする点では苫米地氏の人間性が垣間見えるところであったように思う。

これらの著述家に共通する点は教育の重要性と併せてその具体案を明確に述べている点(宮台氏についてはハッキリは分からず)にあると自分は感じた。

苫米地氏は税に関するあらゆるからくりを説明し、財源の拠り所をさぐったうえで解決のあてをベーシックインカムやAIに、要するに技術的な底上げによる予算運用の効率化に求め、そこから教育を捻出するという策を提案する。

細かい点は自分の理解に及ばなかったが、例えば教育の完全な無償化は技術力を正しい方向で使用すれば理論上は可能ということは理解できた。そこにはあらゆる利害関係があり、権力闘争となるため、そこに関しては苫米地氏がよく使う「認知戦」を用いて打破せよ、という内容であった。

苫米地氏によれば、認知戦というものは単なる情報操作ではなく、人間の思考の傾向性を標的とするものである。フェイクニュースは情報を操作することはできるが、人間の思考の傾向(例えば、情報の調べ方、批判の仕方、いわゆるメタ的な認知)までは操作できない。

教育を変えるには政治からその制度を変えなければならない。

しかしそれをするには政治に力を注がねばならない。

あらゆる問題(労働問題、差別問題、環境問題など)の起点が政治にあるので、結局解決に向かうには政治について考えなければならないことになる。

いま述べた理論は結局、全て政治による介入が必要になることは分かった。しかし近年は投票率がパッとせず、加えて少子高齢化による人口バランスのズレのため、国民の総意というものに価値観の中立性、バランス(意見には普遍性があるかどうか)が反映されにくくなってきているように自分は思う。

現行の民主主義に対して苫米地氏は投票制度の改革を提案する。

ざっくり言えば一人一票という前提を覆すことであった。

普遍性を保てるように、そのバランスを調整するということである。

苫米地氏が未来をよりよくする提案を行っているのかは分かりかねる。

残念ながら政治に答えはないが、今回はより踏み込んだ話が展開されているように感じ、参考になるところが多かったように思う。

具体的な案が人々に認知され、とくに若い人たちが社会のことをもっと深く考えるようになり、議論が交わされる機会が増えていくことを願いたい。

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読書日記1236

         執行草舟『草舟言行録Ⅱ:人間の運命』実業之日本社 (2023)

■株式会社実業之日本社

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その他数冊

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日記

『人間の運命』

小林秀雄、福田恆存、吉田健一、柄谷行人、池田晶子、小室直樹。

偉大な人物は皆、膨大な書物を読み倒している。

昔は文学を読むことが半ば当たり前だった、ということが感覚的に信じられない。

感覚的にはそうであるが、彼らの本を読むといかに読み込んでいるのかが自然と伝わる。

その根底には「いかにして生きるべきか」という問い、悩みがあったという。

“昔は旧制高校というものがありました。今の国立大学などの前身ですが、当時の旧制高校では愛や信義、生きるとは何か、人間とは何かというテーマで、学生たちが喧々諤々の激論を戦わせていたのです。殴り合いの喧嘩もしていました。(・・・)とにかく、読書、文学です。文学に体当たりでぶつかっていくと、人間とはどう生きるべきかという問題で本当に悩むようになるのです。どうしてそうなるかと言えば、文学上の悩みというものが「自分の命を捧げ尽くすものを追い求める」ということだからです。実は人生で、これ以上のことは悩みではないのです。だから現代人の悩みは、悩みではない。すべて自己固執というもので、自分のためにあるエゴイズムなのです。” P28-29 (『人間の運命』)

読書を通じて派生していない悩みはすべてエゴであり、それが現代人の特徴ということが語られた。

次に、小林秀雄と似たようなことが語られた。

小林秀雄は教養なんかはいらない、必要なのは勇気だと書いていた。

“運命はすべてに体当たりし、到達不能の憧れに生き、未完を受け入れた人間にだけ来るのだと私は言いました。(・・・)武士道というものは(・・・)勇気の源泉として、それらを最大に引き出すものと分かったのです。” P46 (『人間の運命』)

埴谷雄高『死霊』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』は未完のままで終わっていることから、執行草舟氏はこの二つを偉大な書物だと語ったのが印象的であった。

・・・

『<救済>のメーディウム』

メモ

アドルノによる「キッチュ」の定義

“「キッチュとは、おのれの圏域から引き離されてしまったひとつの形式世界における無価値となった諸形式や紋切り型の沈殿物なのである。かつて芸術に属していたものが今日おこなわれるとき、それはキッチュとなる」” P254 (『<救済>のメーディウム』)

アドルノ「芸術はその概念のうちにキッチュを含んでいる」

・・・

“芸術作品にたいしてアドルノはつねに「進歩的」であることを、すなわち、現状に甘んじて歩みをとめることなく、絶えざる自己否定を重ねつつ、前に進みつづけることを要求するのである。” P255 (『<救済>のメーディウム』)

つづく

公開日2023/12/23

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