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日記
メモしたり読みながら考えたりした。
“私はよく思った。激しいいのちは、かくも矛盾をはらまなければならないものかと。世の常の女のようによき妻であり、よき母であろうとした母は、だが、その希いをいつも遮られたのである。矛盾は、母自身の魂の中にあった。” P30 (『岡本太郎と横尾忠』)
岡本太郎ほど矛盾について語る芸術家、著述家はいないように自分は思う。
自分も矛盾については20代に否応なくつきつけられたので、今日に至るまで矛盾について考えない日はほぼなかった次第である。
だから余計に響くように思う。
『森の掟』という有名な絵がある。
魚のように見える生物の鱗が「ファスナー」になっている。絵をよく観るとまわりの動物がその生物を避けているように見える。避けているというよりかは、避難しているようにも見える。
工業品が人間性を奪い去っていくというメッセージ性のある印象的な絵である。
それに関して岡本太郎が語る。
“野間宏君は『森の掟』の中央の魚のようであり、猛獣のような生きものを指して、ファシズムの暴力といった。なるほどここには明らかに社会的アレゴリーが見られる。しかしそのつもりだった訳ではない。といって全然意識せずに描いたものでもない。意味づけすることも概念であるが、意味を否定することも概念である。無意味を決意すればこそ真に意味になるのである。” P66 (『岡本太郎と横尾忠則』)
無意味であることによって意味となる。
アイロニーと逆説が炸裂する。
読んでいてすぐにメモをとった。
話が変わってしまうが、このメモを書いているときに注射の話が聞こえた。
副反応がどうのこうのと聞こえた。
これについて陳腐なことを語りたくはないが、やはり可笑しいと思うことがある。
なぜ「反応」ではないのか?意味がわからなかった。
・・・
(岡本太郎の言葉)
“「日本では決してオリジナリティを認めない。何でも時代の状況にあわせ、一般の基準に従わなければ許されないのだ。あえて己の筋を貫き『ノー』と言うこと。それは即この社会から消されることだ。しかし、たった一人で、だからこそ挑まなければならない」” P68 (『岡本太郎と横尾忠則』)
岡本太郎は今から100年以上も前に生まれた人間である。
100年前の人間ですら同調圧力に言及している。そして今もまったく変わらない。
GHQが日本をあれこれダメにしたと語る言説に疑問が生まれた。
前から日本は日本だったということを、この岡本太郎の言葉が裏付けている。
・・・
岡本太郎は「対極主義」だということをどこかで学んだ。しかしよくわからなかったが、今日ある程度分かった。
“要するに、過去のアヴァンギャルド(ダダ、スュールレアリスム、キュビスム、抽象画)を否定し、止揚する、それが対極主義です。” P82 (『岡本太郎と横尾忠則』)
ゴムを思い浮かべた。
それぞれ別の方向へと引っ張られると張力が生まれる。
例えとしては適切ではないが、それぞれ対極にある考えが張力を生み出し、そのエネルギーを利用して止揚し、ジンテーゼ(矛盾の解決)を生み出すということだと自分は考えた。
また、岡本太郎はアヴァンギャルドとモダニズムの違いについて言及した。
後者は商品化してしまうという。
前者は人の承認を待たず、悪評にもめげず、創造のトップに立つ作家だと説明された。
自分はここまで読み「誠実」の意味を再定義した。
誠実には「嘘をつかないこと」といった意味合いがあるように見える。
誠実は真心をこめること、真面目であること、と出てくる。
なにか足りない。
誠実であることとは、徹底的に矛盾と向き合う態度ではないか。
矛盾を見て見ぬふりをすることは、たとえ誰かの為であってもそれは「真面目」ではあるかもしれないが、誠実ではない。
公開日2023/12/26