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読書日記1250

          池田晶子『睥睨するヘーゲル』講談社 (1997)

■株式会社講談社

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日記

2024年は震災で幕を開けた。

ドトールが17時までの営業であったので、帰宅。

テレビは全て「右へならえ!」の如く地震のニュースを報道。

全局が同じことをする必要性を自分は全く感じない。

これに気がいってしまった。

テレビ局の多様性のなさにだけ着目すれば、日本もどこかの独裁国家とあまり変わらないのではないか?

それを直感で感じているのか分かりかねるが、テレビに見切りをつけた人は別の媒体に移る。

自然な流れだと感じた。

・・・

池田晶子は言語に対して客観性というものを非常に重視していることが伝わる。

「だれが考えてもそう言えるということ」にこそ、哲学の拠り所を定めるべきだと自分は受け止めた。

「根拠がない」と印象を持たれてしまう現代思想は、まさしくそこにある客観性の脆弱さが自らの手で暴かれてしまうと共に、思想という言葉の力にも負のイメージを与えているように自分には思えた。

だれがどう考えてもそうだと言える。

文学はどうか?

文学に客観性を求めるのはナンセンスだろうか。

それは批評の仕事だろうか。

たしかに文学は美を文章に求める営みであるかもしれない。

そしてなにが美であるかは主観によることも多い。

だからといって、客観性を無視して良いとは思えない。

2024年は読みつつ書きつつ、2023年にできなかったことをやらなければならない。

追記:

BOOK・OFFで池田晶子の本を買っている若者を発見!!

素直に嬉しい。

公開日2024/1/1

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