閉じる

井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門』読了+新・読書日記126

井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門』毎日新聞出版(2015)

■毎日新聞出版株式会社

公式HP:https://mainichibooks.com/index.html

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/mai_shuppan

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

感想

後半は法哲学の概要、マイケル・サンデル、ジョン・ロールズについて触れられた。

法哲学は「正義論」と「法概念論」に分かれるという。前者は「法とは何であるべきか」を問い、後者は「法とは何であるか」を問う。この対立がヒュームの法則と似ていた。「理性は情念の召使である」と言ったヒュームが仮に正しければ(『なぜ社会は左と右に分かれるのか』の内容に準じれば)、法とは何であるか、という問いかけと法とは何であるべきか、という問いかけは相容れない。

そんなことを考えながら、地道に読み進めた。整理はつかない。本書の内容は深い。

正当性と正統性も区別されるみたいである。前者は「rightness」後者は「legitimacy」だという。

130項あたりはなかなか深い話が展開される。ここは何度も読みたいところである。ジュディス・バトラーについても少し触れられていた。バトラーは平等や人権までも脱構築してしまっている、といったことが語れた。

ついていけない箇所がいくつかあったが、法哲学からみた正義論という切り口は自分には新鮮に思えた。

  

メモ

“正義論の課題は、法の「ライトネス」、正しい法は何か、を問う。” P132

“正統性というのは、負けたほうから見て、間違ってはいるけれど、自分たちが次の闘争で勝てるまでは尊重できる、そういう法のこと、そういう法には正統性があると言える。” P133

デリダ「実定法は脱構築できる、しかし正義は脱構築できない」

  

・ダブルスタンダードは不正に満ちていることの証明

・・・

新・読書日記126

瀧川裕英 (編集), 大屋雄裕 (編集), 谷口功一 (編集), 安藤 馨『逞しきリベラリストとその批判者たち―井上達夫の法哲学』ナカニシヤ出版(2015)

■株式会社ナカニシヤ出版

公式HP:https://www.nakanishiya.co.jp/

公式X(旧 Twitter ):https://x.com/NakanishiyaPub?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

その他数冊

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日記

高橋和巳『憂鬱なる党派』を上巻読み終えたところで止まってしまっている。

終盤、絶対的な正義などないと言う老人と、感傷的でヒューマニズムに訴える青年のやりとりが非常に印象的であった。

このことを、井上達夫氏の法哲学と絡めながら考えてみたいと思った。ということでまず『世界正義論』を読むことにした。

『逞しきリベラリストとその批判者たち―井上達夫の法哲学』はところどころ専門的で、法哲学と分析哲学が融合している箇所はさすがに読んでいて頭が痛くなりそうであった。

法哲学と分析哲学はかなり親和性が高いことはヘアの本や安藤馨氏の法哲学入門書で学んだ。これ以上踏み込めない領域がある、と自覚させられた。それくらい難解で奥が深い。しかしだからこそ敢えて読んでみようと思う気になってしまうものである。

  

ジュンク堂は見たことがない本が沢山あり魅力的だ。普段なかなかいかないコーナーに足を運んでみた。

世の中の複雑さ、知的財産の多さ、人類の歴史の長さにある種の恐ろしさ、崇高さを感じた。

ひとまず真摯に、謙虚に少しずつ自分の問いかけを続けていきたい。

つづく

  

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2024 ラボ読書梟 | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free