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その他数冊
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日記
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日記
『感情教育 上』は400ページ弱まで読み進んだ。このままいけば来週の今ごろは『感情教育 下』を読み終わっているかもしれない。
X(旧Twitter)を地道に続け、フォロワーが2300人を超え、明らかに自分よりも読書量の多い人たちから様々なアドバイスや交流を経て、ますますアンテナの感度が上がってきた。
大江健三郎『人生の親戚』を2023年のベスト小説のひとつに挙げている人がいた。
自分は部屋に転がっていた『こころの読書教室』を何気なく手に取ると、驚いたことに『人生の親戚』を河合隼雄もすすめていた。
これはただの偶然とは思えなかった。
池澤夏樹氏が編んだ河出書房新社の世界文学全集に、大江健三郎もラインナップに含まれている。それを今日、書店で手に取ってみると、なんと『人生の親戚』があり、しかもページを開いて一番最初に位置していた。
これはただの偶然ではない。池澤夏樹は『同時代ゲーム』が個人的に好きだと語っていたが、『人生の親戚』には何か普遍性を持った問いかけがあるに違いないと感じた。
勿論あらすじは予めかるく予習している。深いテーマであることに変わりはない。
・・・
『人が人を罰するということ』
これは小坂井氏の『責任という虚構』へのアンチ・テーゼとなっている。(まだ最後まで読んでいないが七章と八章のタイトルから明らかである)
今日は100項弱まで読みすすめた。
「刑罰には何の意味があるのか?」を掘り下げて考えると、役割が多元的であると分かった。
議論を追うために常識的に考えれば分かることも書かれていたが、ここでは割愛。
結論から書くと、刑罰には祝祭、見せ物、追放、抑止、応報などのいろいろな概念がそれぞれ密接に繋がっている。
100ページ弱まで読んだ感想としては、世界史レベルで刑罰について考えると、今日当たり前であることが、なぜ当たり前なのか、そしてそれは本当に正しいのか、という視点に立って考えることができた。
例えば、前科というものは「追放」の概念と繋がっている。
応報の原理としては、現代では間接的に苦痛を与える。それが前科という制度であり、部分的に社会からの「追放」をも意味する。禁固刑以上の前科のある者は国家公務員になれなかったり、入社試験すら受けられないこともある。
応報と追放が繋がっていることが分かる。そして、これは太古では共同体からの追放であったと理解できた。その名残として残っている可能性もある。
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話をパノプティコンと自己家畜化に移す。
ざっくりとするならば、自己家畜化論者は刑罰が徐々に優しくなっている(残酷な処刑がなくなったという意味において)理由を、ホモ・パピー(人類の犬化=従順化)に見出そうとしていたが、本書によれば、簡単にそう言えるものでもなく、例えばミシェル・フーコーはその原因は「権力の様式がただ一時的に変わっただけ」と考えていて、そういう見方もあることが分かった。
本と本を繋げていけば、「ああ、あの本はなんか説得力がめちゃくちゃあったけど、違う視点からみればそうでもないかもしれない」と別の立場に立って物事を考える余地が生まれるということを改めて実感。
理想的にはもっと様々な読書家と交流し、人と人との繋がりと本と本の繋がりの相乗効果を指数関数的に高めることだ。(しかしこれは難しい)
公開日2024/1/7