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その他数冊
つづきをよみすすめた。
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日記
てきとうに手帳をパラパラめくっているとザミャーチンの言葉が書かれていたので、覚えるつもりで再度書き残したくなった。
ザミャーチン「真の文学は、勤勉で従順な役人からではなく、狂人、隠遁者、異端者、夢想家、反逆者、懐疑論者から生まれる」
今日は自分なりの小説の書き方の型ができてきたように思う。
自分は劇的に展開するミステリーは絶対に書けないことは分かっている。
自分には自分なりに考えたこと、感じたことがある。それを表現することに全力を捧げることに注力すればいい。
珍しく3時間読書と執筆に集中できた。
・・・
『人が人を罰するということ』
刑罰の「多元主義」について前半ではさらっと触れた。
日本では刑罰として入れ墨を入れるという慣習もあったようである。それは現代では「前科」と同じように、犯罪を犯した証明として機能する。それが同時に社会参加にある程度の制限がかかること(国家公務員にはなれない)、つまり「追放」としての機能も有することが分かった。
また、諸説はあるが流刑には権力を弱める効果があると本書で触れられていた。
このように、単なる犯罪抑止、応報の原理だけでは説明しきれない例が数多く挙げられ、なんのために刑罰はあるのか?に対する問いの答えが単純ではないことが分かった。
・・・
今日は応報が掘り下げられた。
著者は、移民が現地の司法プロセスを理解していないために、誤認逮捕の例が発生し得ることを、とある小説を引用しながら示し、適切な行動がとれず、あれよあれよと禁固刑になる例が紹介された。
冤罪の場合、応報の原理は成立しない。
行動ー責任ー主体ー選択ー自由が繋がっている概念であることを前提に、著者はひとつでも「無い」場合、全ての概念が使用不可になることを語る。
さきほどの例では、「主体=犯罪の行為者」が「無い=冤罪のため」、行動はあり得ず責任が消滅する。選択と自由は行動が無ければこちらもあり得ないので消滅する。
つまり、応報の原理が適用されるためには犯人を確実に特定しなければならないことが分かった。
(整理するのに時間がかかったため、一旦ここでストップした)
・・・
『<世界>はそもそもデタラメである』
宮台氏の本の面白いところは、単なる感想のような社会批判ではなく、専門である社会学の知見にとどまらず、哲学、心理学(精神分析)、数理社会学といった幅広い知見に基づく分析で成立している点にある。
宮台氏の映画批評にはたびたびジャック・ラカンについて書かれているので、その方面にも関心がある自分には刺激的な本である。
ラカンの「享楽」の意味は「エンジョイ」ではないということを松本卓也氏が書いていた。
宮台氏の別の著書のタイトルである「正義から享楽へ」の本当の意味を、自分なりにつかみたい。
ひとまずパラパラめくると、ニーチェのワーグナー批判について細かく書かれていた。
“「真の全体性=<世界>の根源的未規定性」をちゃんと知る者であるクセに、「偽の全体性=<社会>的な事物の崇高性」へとすり替えることを、ニーチェは大衆迎合と見放した。初期のロマン派の資質を持つのに、頽落した後期ロマン派の如く振る舞うのが我慢ならなかったのである。” P286
これに付随してニーチェが古代ギリシア哲学について感銘を受けていた話などが書かれていたが、今日はまとめるのに時間がかかるので割愛。
自分が今書いている小説はプラトンの話で埋め尽くされている。
詳細は割愛せざるを得ないが、自分はプラトンを批判的な目で見るべきときが来てしまった。
つづく
公開日2024/1/9