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日記
通勤ラッシュの午前中に走るサラリーマンたちがいるのは分かる。しかし帰宅時間帯の18時頃、乗り換えなのか知らないが走る人たちがかなりいる。自分の駅特有の現象かもしれないが、それを見た別の人が「凄いスピード」と呟いていたのが聞こえた。
そのあたりのことをビョンチョル・ハンが考察をしていた。ビョンチョル・ハンは「深い退屈」という章のなかで、退屈に耐えられない人はせかせか歩くようになるといったことを書いていた。
分からなくもなかった。もはや帰宅時間はただ機械的に歩く時間なのだ。そう思えば合点がいく。ゆっくり歩くことはただの作業になっている。ただの仕事の延長戦になっている。家に待ち受けている至福の時間を求め、ただただひたすらせかせかと歩くのだ。
“過剰な注意は、退屈を我慢することを知らない。だから、創造的なプロセスに欠かせない、深い退屈を許容できない。深い退屈のことを、ヴァルター・ベンヤミンは「経験という卵をかえす夢の鳥」と呼ぶ。” P37
・・・
『生命の理念 Ⅱ』
ストレスについて語っていた。あらゆるストレスは社会的なものだと語られていた。
自分は表面的なことしか知らなかった。この本には深いことが書かれている。やはり今回も中心は菌だ。『土と内臓』を読んでから、もはや菌が世界を支配しているのではないかとすら思えてきた。
現代の食は加工された食品が多く占める。工業化は食品が即成化されることである。時間をかけて熟成される菌食は効率・工業化と相性が悪い。しかし文明を築いたのは菌の力だとされる。菌が文明を支えたともいえる。
それが逆転し、今は菌がただの見えない有害な微生物だと一般的には思われている。
菌の還元能力は凄まじい。菌食から離れるとあらゆるストレスに脆弱になる。
これを現代人は完全に忘れ去っている。ビョンチョル・ハンの書いていたようにストレスに対する「耐性」が低くなっていくのは当然の流れと言える。なるほど。思わず軽くつぶやいてしまった。
また、食が簡単に手に入るようになったため、食に対するありがたみの気持ちが減ってしまった。ゆえに、食がいつでも食べられるという幸せを完全に忘れ去った。昔は食べられるだけで全てのストレスが吹き飛ぶほどであったという。
いろいろな要因が偶然に重なった結果、ビョンチョル・ハンのいう「疲労社会」が生まれたのだと察する。
これを現代病といえばまあ仕方がないが、この過程を人類の進歩・進化だと思えばそこでおしまいではないか。
・・・
モンテーニュがキケロに対していろいろと批判しているところが印象的であった。
導入部分が長すぎて本編になかなか入らない本は現代にも沢山ある。それをモンテーニュは役に立たないと一蹴していた。終いにはこんなことを書いていた。
”キケロについては、わたしは世間一般と同じ判断をしている。つまり、彼の魂のなかには、学問以外にはたいしてすぐれたものはなく(・・・)しまりのないところや野心にみちた虚栄心は、正直に言って、たっぷり持っていたのだ。” P182
『憂鬱なる党派 上』は150項ほどまで読み進めた。
主人公の人生が若干自分と重なる部分があり、これはなかなか没入できる。
つづく