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新・読書日記132

    ヴァルター・ベンヤミン『来るべき哲学のプログラム<新装版>』晶文社(2011)

■株式会社晶文社

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       ドストエフスキー『悪霊 上』岩波文庫(1989)

■株式会社岩波書店

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           沼野充義『徹夜の塊3 世界文学論』作品社(2020)

■株式会社作品社

公式HP:https://sakuhinsha.com/

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日記

ひたすら『悪霊』を読みつつ、残りの時間は後者の二冊を軽く読んだ。

『悪霊』は50項まで読み進んだ。なんとか内容は追えているように思う。このままちびちびと読んでいきたい。

社会主義者はそのまま無神論者とイコールでつながるという予備知識があるかないかで本書の読みどころが多少変わるように思えた。現代の日本人で共産主義だの、無神論だの、誰が日常的な会話で話すのだろうかと思ってしまうが(変わり者であれば日常的に話すのかもしれないが)、これはつまりイデオロギーが世界的にもう死んでしまったということを意味するのだろうか、ということをぼんやり考えながら電車で読んで帰った。

(ニヒリズムとは、実はイデオロギーが死んだ状態のことを指すのだろうか?)

  

・・・

『来るべき哲学のプログラム』

メモ

古代人の幸福について語るベンヤミン

“(・・・)近代の人間の頭には、反省というものがきわめて強くこびりついてしまっているため、彼には、人間の内面は、自然との対立を知らぬ単純かつ純真な幸福のなかにある場合は、あまりに無内容で面白みがないもののように見えているということ、この内的人間は、このうえなく深い幸福に包まれている場合には、自由に外へと伸びひろがることもできるということである。むろん近代人にとっても、幸福とは、素朴な魂の優越した状態のことをさすのであるが、しかしその際、何にもまして特徴的なことは、近代人が、素朴さのこの最も純粋な現れを、情感的なものへと解釈し直そうとしている点である。” P327

   

・・・

『徹夜の塊3 世界文学論』

メモ

ヴァルター・ベンヤミンの言葉

“物語の衰退のあとのあとを辿っていくならば、その最も初期の兆候は、近代の初めにおける小説の台頭である。小説が物語から(そして狭義での叙事詩的なものから)区別されるのは、小説が本質的に書物というものに依存しているという点である。小説の普及は書籍印刷術の発明をまってはじめて可能となる。口から口へと伝承されるもの、この叙事詩の財産は、小説を存立させているものとは、まったく違った性質のものだ。小説は口伝えの伝統から生まれるものではなく、また、その伝統の中に合流することもないという点で、他のすべての散文芸術の形式ーーー童話、伝説、いや短篇小説まで含めてーーーとは対照的なのだが、とりわけ小説がきわ立った対比を示すのは物語ることに対してである。” P109

  

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