■株式会社明月堂書店
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このブログは論文でもなんでもないので、とりあえず覚えたことやメモしたこと、感想などを縦横無尽に書き残していきたい。
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とりあえず、なぜ今、宗教の本ばかりを読んでいるのかだけ書いておきたい。
端的にマスメディアと政治不信からである。
小室直樹は「宗教オンチ」と表現していたが、自分もその一人だと理解した。
そして、マスメディアもそのなかに入っていると自分は確信している。
「哲学科出身で、哲学ばかりやってきました」
「神学科出身で、救済について考えてきました」
このような人たちがマスメディアの就職試験にパスできるかどうか。
自分にはそう思えない。
例外もあるかもしれないが、たぶんない。
コメンテーター(専門家)の人選も、偏りがあるだろう。
馬渕氏はこういう事情などと関連付けて民主主義の脆弱性などを指摘している。
宗教のことを理解しておけば、以後海外の文学作品がより面白く読めると確信したので、読書が好きだからという動機に乗って今に至る。
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『フェルナンド・ペソア伝:異名者たちの迷路』
200ページ強読み進んだ。
自信満々で世に送り出した詩が、知識人たちによってけなされるという、お決まりのパターンがペソアにもあったということが分かった。
自分は柄谷行人が高橋和巳の小説を「観念的なものを無理矢理肉付けしている」と批判していた件を思い出した。
埴谷雄高のように、観念的なものはそのまま観念的でいいんだよ、と柄谷行人が語っていた。
高橋和巳のように、長篇をいくつも量産したことがない人が、よく上からそこまで言えるなと自分は思ったものであった。
以後自分は、自分でなっとくのいく長篇小説をいくつも世に出せない限りは、登場人物の批判はまあいいと思ったが、作家の批判は決してしてはいけないと肝に銘じた。
メモ
“私が誠実でない文学と呼ぶものは、アルベルト・カエイロやリカルド・レイスやアルヴァロ・デ・カンポスの文学のことではありません。(この最後のカンポスはあなたの好みの人物で、夕べと夜の詩人です)。彼らの文学は、他者の人格において感じられたものであり、劇的に書かれてはいますが、誠実な(この言葉に私はたいへんな重みをおいています)ものです。それはリア王がシェイクスピア本人ではなく、彼の創造であるにしても、誠実であるのと同じことです。私が不誠実と見なすものは、人を驚かせるための作品や、根源的な形而上学の観念に根ざさないーーこれはとても重要ですーー作品です。たとえわずかな息のようなものであっても、見られない作品のことです。” P133
”最も偉大な芸術家は、最も定義しがたい者、最大限のジャンルで、最も矛盾と非類似をもって書く者である。いかなる芸術家もひとつの人格ではなく、複数の人格をもつべきなのだ。[略] こうして、自分がひとつで、不可分だという粗雑な虚構を解消させなければならない。” P189-190
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『ウクライナ戦争の欺瞞 戦後民主主義の正体』
馬渕氏が言いきっているところが痛快であった。
“世界の出来事の99パーセントは公開情報で理解できる” P13
読み進めていくと、これは帰納法と演繹法を働かせないといけないことは分かったが、何十年も外交官を経験した人間の、この言葉は大きい。
裏を返すと、既存の事実をひっくり返すような、もっと大きな事実というものはほぼ皆無だということである。
本書は情報量が多く、ひとつひとつのチェックが大変なのでゆっくり読むことにした。
結論を軽く読んでみたが、「家畜」にならないためには思考と行動が大事だという主張はハンナ・アーレントと重なって見えた。
メモ
馬渕氏による定義
グローバリズム・・・ヒト・モノ・カネの移動の自由を目指し、法と規則で行動の障害となる国家を破壊しようとする思想。
DS(ディープ・ステート)・・・国際金融勢力。政府の言論を操作しているとされる。
ポリティカル・コレクトネス(PC)・・・誰も否定できない正論によって異論を封じる。
『ホモ・デウス』を読めば、以上の定義が突飛ではないと見るのが妥当である。
PCの定義はうまく表れていると自分には思われた。
馬渕氏いわく、ポリティカルコレクトネスをやたらに持ち出す人間は反論されることを深く想定していないため、論戦には弱いのだという。
正論だけ振りかざしてもそこから帰結する矛盾には向き合わないというのが往々にしてある。
メモ2
“言説をシャットアウトすることによって何を隠したかったのか、それにより人々をどこに誘導したいかも含めて常識で考えればわかる” P29
本書は日本版「クリティカル・シンキング」の教科書みたいで面白い。
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『イスラームから見た「世界史」』
昨日はペルシア帝国の成立まで読んだ。
ペルシア人は全オリエントを紀元前550年頃に征服したと書かれていた。
まもなくプラトンとソクラテス、アリストテレスが誕生する頃である。
ペルシア人はゾロアスター教だということ、そしてゾロアスター教は善悪二神論(悪の神と善の神が存在する)だということは小室直樹や島田氏の本で学んだ。
その後、ギリシア人がペルシア帝国を倒す。
しかし次第に衰退し、次にパルティア人によるパルティア王国が樹立したと書かれていた。
パルティア王国は紀元前247年頃~西暦226年に存在したと書かれていた。
つまりプラトンらがいた時代にパルティア王国も存在していたということである。
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次に「アッラー」の意味について学んだ。
「アッラーは偉大なり」は何十回とニュースで聞いた言葉だ。
allahは「al」と「lah」が合体したもので、前者は英語の「the」に相当し、「lah」は「神」に相当する。
つまりアッラーは「あの神」という意味になる。
本書にも、イスラム教は他宗教の神を否定しないと書かれていた。
これは小室直樹が言っていたことと合致する。
(「イスラム教は宗教に対して寛容である」)
⇒キリスト教においては、異教徒は人間ですらない。だからインカ帝国はズタズタに壊滅させられてしまった。この差は大きい。
その他は、ムハンマドは最初、ただの平凡な説教師だと書かれていた。
その後カリスマ性を発揮し、後世に語り継がれることになる。
ヒジュラ以前、ヒジュラ以後の分け目は、ムハンマドが指導者になった前、なった後を指すと書いてあった。
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『宗教を哲学するー国家は信仰心をどこまで支配できるのか』
仲正氏は、テレビに出てくる宗教学者によるコメントが表面的だと批判していた。
報じかたにもいろいろと苦言を呈していた。
自分はスタバでうなずきながら読んだ。
結局は、マスメディアが宗教オンチであることの証明ではないだろうか。
真実を知りたい場合、楽なほうを選ばず(ソファーでのんびりニュースを観ること)、図書館で書物と向き合うべきだ。自分はそう思えてならない。
公開日2024/2/17