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つづきをよみおえた。(読書日記1300に収録)
今回でも思い知らされたのは、小室直樹の読書量がとてつもないということである。
仮説を立て、大昔の日本人が書き残した書物からその立証を行っていく。自然と本書のなかには引用が増える。
あまりに多すぎて、今日は情報を整理するので精一杯であり、そして複雑な箇所も多くあるのでしばらく本書との付き合いはつづくと自分には思われた。
整理して最後に少し感想を書いて終わりにしたい。
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メモ
“家族道徳を根本規範(Grund Norm)とする儒教では、家族を棄てることは、根本規範の蹂躙を意味する。” P175
“イスラエル人は、なぜ法律を守ることができなかったのか。その理由について、パウロは断言する。それはイスラエルが信仰によらず行いによって求めたからである。(同右 第9章 32)「行ない」なし、ただ「信仰」あるのみ。法然・親鸞も究極的には、ここに到達する。” P195-196
日本における法不在
”仏教から戒律が抜けたことは、ただに、日本仏教を日本教の一宗派にしたのみならず、日本社会に、巨大な烙印を押すことにもなった。日本から法(律)をも消し去った。いや、法の芽をつんでしまった。外国の法を手本にしてこれを模倣することさえも困難にした。この困難さは、古代、中世において、中国法を模倣するさいにもあらわれた。が、いまの日本人が痛切に感じているのは、現在日本の法不在である。現在日本の法律の源流は、明治時代にある。” P204
“宗教社会学的にいうと、宗教の戒律と世俗の法律とは、密接な関係にある。” P205
日本人の一様性が法整備を遅れさせた?日本の法不在について小室直樹の見解
“この説の当否について、今ここでは論じない。が、より根本的には、その所以は、宗教的理由に索められるべきであろう。” P209
仏教は存在論(オントロジー)を否定する
キリスト教はキリスト教神学の中心に存在論があり、使う論理はアリストテレス的形式論理学
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メモ2
仏教は労働している暇があったら「さとりを開け」
天皇のイデオロギーと儒教のイデオロギーは両立しない
儒教⇒政治よければ全てよし
天皇イデオロギー⇒天皇がすることだから正しい
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点と点をつなぐ作業は明日以降に行っていきたい。
儒教の話が出たり、仏教の話が出たり、イスラム教の話がでたり、キリスト教の話が出たり、ユダヤ教の話が出たりであった。
小室直樹は何と何を比較して「だからこうだと言える」ということを次々と炸裂していくのでついていくのが難しい。
ひとまず承久の乱(1221)によって天皇イデオロギーが一度衰退し、江戸時代にほぼ死にかけ、しかしながら明治時代に再度復活したことは理解できた。
その詳しい理由は分からない。以下、小室直樹は説明した。
“天皇の非倫理性が徹底していればいるほど、それと共存する反対方向性によって、天皇は絶対の高みへのぼってゆくのである。” P271
昨日読んだ本では、大澤真幸氏がマックス・ウェーバーの説について、「ニューカムのパラドックス」と重なる点があると指摘していた。
資本主義を禁止する思想があったから逆説的に資本主義が生まれた。
しかし、自分の力不足を痛感。
天皇イデオロギーの現代的意義や、明治時代においてなにがどう変わったのか。
なぜ小室直樹は現代を「アノミー」の時代として位置付けるのか。
読めば読むほど疑問が生まれるところであった。
明日以降地道に研究していきたい。
公開日2024/2/22