■株式会社新潮社
公式HP:https://www.shinchosha.co.jp/
公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/SHINCHOSHA_PR?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
その他数冊
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日記
ようやく平野啓一郎『三島由紀夫論』に取り組める段階に来たと思い、昨日読んだ『三島由紀夫が復活する』を思い出しながら読んだ。
分厚く内容も幅広いので、ひとまず興味のあるトピックから読んだ。
昨日の話と繋がる箇所をメモ。
“例えば、『英霊の声』刊行直後のインタヴュー「三島由紀夫氏の”人間天皇”批判ーー小説『英霊の声』が掲げた波紋」では、「国家が近代化すればするほど、個人と個人とのつながりは希薄になり、冷たいものにな」り、愛は不可能になってしまう。」従って、「愛し合う二人の他に、二人が共通にいだいている第三者(媒体)のイメージーーいわば三角形の頂点」が必要であり、それこそが「農本から生まれた「天皇」」である、と説いている。しかしこれは、この模索の時期に例外的に示された天皇観であり、以下は鳴りを潜めている。” P242
愛と天皇がどう繋がっていくのかは分かりかねたが、合理化による人と人との繋がりの希薄化は大いに共感できるところであった。
社会学的にはドイツの社会学者テンニースの提唱した概念に通ずる。「ゲマインシャフト(共同体組織)からゲゼルシャフト(合理的組織)」への移行である。
大雑把な解釈だとは思うが、合理的に動いたほうが健康と寿命が延びることから、これは必然とされる社会現象だとされる。
宮台真司教授はマックス・ウェーバー「鉄の檻」に依拠して現代の社会を「クソ社会」と呼んでいるが、その特長を「損得マシーン」「法の奴隷」「言葉の自動機械」としている。
『14歳からの社会学』では、合理化によって町が整備されていき、大人と子供が道路の真ん中で遊んでいた景色が消失してしまったことの原因などがかなり詳しく書かれている。今ふり返ればこの本は名著だ。もう一度読もうと思う。
また、精神科医の熊代氏も似たような分析をしている。合理化によって社会が息苦しくなっていることをこちらの本で分析している。
ゲゼルシャフトへの移行が合理化の副作用であるという論理はさほど的はずれではないということは理解できる。
話は逸れたが、自分は、三島由紀夫はこのゲゼルシャフトへの移行過程において、武士道の精神が消え失せてしまったことに怒りを覚えていたのだろうと推測した。
昨日読んだ本からも、おそらくそうだと言える。
読んでいて、ある種の虚無感を覚えながらも、とりあえず面白い本だとは思えたので地道に読んでいきたい。
・・・
『正義と腐敗と文科の時代』
この本は昨日読んだ『三島由紀夫が復活する』と同じ問題意識を共有している。
二.二六事件は矛盾で満ちていた。なぜか?渡部昇一はそこに斬り込む。
小室直樹は『日本人のためのイスラム原論』のなかで、蘇我氏が仏教を広めるきっかけとなったと書いてあったが、本書も同じことが書かれていた。
『日本書記』には、「天皇ハ仏法ヲ信ジ、神道ヲ尊ブ」と書いてあるが、天皇と仏教との間には蘇我氏が仲介しており、これは蘇我氏が国際政治を鑑みて判断したのだそうである。
渡部昇一は以下のように書いている。
“欧米人、つまりゲルマン人的な考え方からすれば、二律背反的に見えるものが、日本というところでは何となく両立してしまうのである。” P31
小室直樹は、日本の宗教オンチの原因のひとつとして「規範が嫌い」と書いていた。
まだ深くは分からない。
ただ、三島由紀夫が「空っぽでニュートラルな」と語っていた日本人の特徴は、実は太古からそうだったのかもしれないと若干思えてくるのであった。
その理由はさっぱり分からない。
ただ、数学でいう公理、生き方の行動原理、つまり「エートス」というものが日本人にはほぼ無いのかもしれない、という仮説は成り立つだろうなとは思う。
「空っぽ」とは中身が空っぽで、生き方が日和見主義ということだろうか。
しかし渡部昇一いわく、古代ゲルマン人の宗教観と日本人の宗教観は似ているのだという。つまり、改宗したら死後、自分は別の世界に行ってしまうという考えである。
これもまた大いなる謎である。
・・・
『小室直樹の世界』
あまり声を大にして言えないが、自分はただ「平和でありますように」としか言えない人を軽蔑している。聞くだけでイラっとしてしまう。
アイヒマンをすぐに思い浮かべてしまう。
ミルグラムの服従実験がどれほど本質をついているか、いまは若干の疑いもあるが、「戦争反対!」しか言えない人は端的に思考停止なのだと思ってしまう。
以下、本書の一部を引用する。
“小室博士によれば平和主義者とは、平和を願い、平和を祈念すると平和が実現すると信じる人びとのこと。第一次世界大戦のヨーロッパ諸国に、大量の平和主義者(パシフィスト)が現れた。第一次世界大戦の戦禍があまりにも悲惨だったからである。しかしそれは、ヨーロッパ諸国に大量の、ファシスト、コミュニストが現れたのと同じ時期でもあった。平和主義者は、インターナショナリズムに立ち、人類の連帯によって、戦争を回避すべきだと訴える。ファシストは、ナショナリズムやウルトラ・ナショナリズムの心情に訴え、自分たちの故郷や共同体や国家を守るため、正義を実現するために戦争を辞すべきではないと訴える。結果は、ファシストやナショナリストが勝利した。なぜかと言えば、国家は戦争する能力があるし、それを前提に行動すべきだという、ファシスト、ナショナリストの主張に、平和とは国際社会の力のバランスであるというリアリズムがそなわっていたからである。平和を願うだけで、平和を実現する方法論がない平和主義者は、かえって有害だと小室博士は言う。” P52
勢力均衡でなんとか世界大戦を回避している2024年ではあるが、未来は分からない。
アーレントの通り、生きるとは考えることであり、願うだけではいけないと自分も改めて思った。
なだいなだの本を思い出した。
そもそも、自分の能力を越えた人間をどう判断できるのか、と問う一冊であった。
ニュースはAIでうるさいが、これから生まれてくる若い世代が思考停止にならないことを祈る。
メモ
“宗教は、数理的に構成されていないが、合理的に構成されている。これが、小室直樹博士の作業仮説であり、この仮説にもとづいて、小室博士の宗教論は組み立てられている。” P74
公開日2024/2/25