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読書日記1306

     杉山直樹『精神の場所ーベルクソンとフランス・スピリチュアリスム』青土社 (2024)

■株式会社青土社

公式HP:http://www.seidosha.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/seidosha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

       オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』ちくま学芸文庫 (1995)

■株式会社筑摩書房

公式HP:https://www.chikumashobo.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/ChikumaShinsho?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

つづきをよみすすめた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/08/11/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%981305/

その他数冊

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日記

今日も引き続き古典の読解と宗教史に取り組んだ。

良くも悪くも、様々な分野に好奇心を持てると書店にいる時間が長くなる。

どんなに急いでも、書店を一周しながら読みたい本を決めるには1時間弱はかかる。

心理学書は若干回転が遅いというのを個人的に感じている。

その一方、哲学書は日々量産されている。

マーケット的には哲学書のほうが人気があるのではないか?と思えるほどである。

海外文学も日々いろいろな本が出てくる。

日々少しずつ本棚の中の本は入れ替わっていることを実感。

人体が毎日新陳代謝するように、書店も毎日新陳代謝している。

ひとつひとつの細胞(書籍)が集まって生命(書店)となる。

書籍のなかのひとつひとつの文字は、細胞で例えるならばDNAのようなものだ。

DNAの転写にエラー(誤読)が起きるとガン細胞になるというのは、悪書は社会にとってのガン細胞だということと似ている。

そういうことを染々思いながら本を読んだ一日であった。

・・・

『大衆の反逆』

100ページ弱読んだが、「○○大全」といった類いの要約本がいかに無価値なのかを痛感。

読めば読むほど、味が出る。これはたしかだ。要約本で本を読んだ気にさせるのは間違いだ。しかし、「こんなんじゃ読んだことにならん」と思わせる狙いもあるかもしれない。そういう意味では自分のような変わった人が今ここで全力で読解しているのだからその本の意義があったのかもしれない。

・・・

メモ

格言めいたものなどは書き残しておいた。

1800~1914年までに、1億8000万人を超えることのなかったヨーロッパの人口は4億6000万と、約3倍に増加。

“人生においては「環境が決定する」というのは誤りである。事実がまったく逆で、環境とはつねに更新するジレンマであり、それを前にしてわれわれが決断しなくてはならないのである。” P65

⇒環境を変えることによって人生が変わるという、自己啓発めいたオルテガの発言。

しかし生まれた時点の環境については言及なし。

“すなわち政治はその日暮らしをしているのである。明快な未来像を示さず、未来を明確に予想せず、その後の発展を想像しうるようなものの始まりとしての姿をとっていない。” P67

オルテガは、大衆が勝利した顕著な国は「地中海諸国」と言明していた。

大衆はなにも考えず、権利ばかり主張する、というのが要約本の書いているところであるが、大衆が勝利した国の政治も大衆的になり、政治が大衆のように、その日暮らしになっているのだ、とオルテガが指摘している。

“大衆人とは生の計画をもたない人間であり、波のままに漂う人間である。” P67

オルテガは、大衆を意志のない、あるいは弱い人間とみなしている。

ただ、計画をもたない、というのはどうなのだろうか。

計画を立ててもコロナ禍によって退路を絶たれた人も多くいた。

計画通りに進むと考えるほうが早計ではないか?と自分は突っ込みを入れた。

“革命というものは、既存の秩序に対する反逆ではなく、伝統的な秩序を駆逐する新しい秩序を樹立することである。” P78

⇒小室直樹の指摘はだいたい合っているように思われた。

中国の革命は西洋とは違い「秩序維持のため」というのが小室直樹の説明。

「伝統的な秩序を駆逐する」という文言は既存の秩序を破壊する行為に等しいとしか思えないのだが。従って、西洋の革命は秩序を破壊するためのものであると言えるはずだ。

(こちらにまとめを収録)

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/08/09/%e5%b0%8f%e5%ae%a4%e7%9b%b4%e6%a8%b9%e3%80%8e%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ae%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%83%a0%e5%8e%9f%e8%ab%96-%e6%96%b0%e8%a3%85%e7%89%88%e3%80%8f/

“本質的に奉仕に生きる人は、大衆ではなく、実は選ばれたる被造物なのである。彼にとっては、自分の生は、自分を超える何かに奉仕するのでないかぎり、生としての意味をもたないのである。” P88

オルテガはこれを「規範ある生」と読んだ。

これは現代的なメッセージであると思われる。何事も利他的に活動している人は、そうでない人よりもなにか使命感のようなものを持っている人が少なくない。

カント的な自由の精神(自らが定位する法に従って生きること)と似ていると自分には思えた。

つづく

・・・

『政治と宗教 この国を動かしているものは何か』

旧統一教会と自民党との歴史が語られた。

おそらくテレビでは解説されなかっただろうから、少し収穫のある一日だったと思うに至った。

話は第二次世界大戦にまで遡るという。

終戦後は共産主義の脅威が懸念されていた。

戦犯の岸信介、笹川良一、児玉誉士夫らは処刑されなかった。

彼らは反共産主義者であり「役に立つ」と思われた可能性があるとのことだった。

反共産主義運動のなか、日本で反共主義を掲げた「勝共連合」という組織ができた。

これが旧統一教会と日本が始めて関係をもった瞬間だとされる。

笹川良一協力し、勝共連合の名誉会長となったと書かれていた。岸信介も協力したと書かれていた。

島田教授が語る。

“そのようないきさつがあって、これが自民党議員と旧統一教会との関係が深くなっていく遠因になっているわけです。そして、旧統一教会が共産党や共産主義に対抗する組織であったということが、新宗教が自民党と関わった一番大きな要因となっているわけです。” P82

教会の思想には問題点もあるが、出発点としては良いスタートだったのに、なんだかもったいないと思ってしまった。

日本は共産主義者の革命や暴動が乱発することなくなんとか平和に収まった。

間接的に旧統一教会もそれに貢献していたならば、部分的には良いこともしたのだなと思っていいのではないだろうか。

宗教史は高校や大学ではほぼ何も勉強してこなかったので、新しい視点が得られて良い一日だったと感じた。

つづく

・・・

『精神の場所ーベルクソンとフランス・スピリチュアリスム』

メモ

ベルクソン「哲学は、経験と推論以外のものによっては進まない」

  

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