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日記
Twitterのトレンドで宗教のトピックが挙がっていた。
それに関するツイートを眺めていると、明かに何の知識もなく、ただただ「正教分離=悪」だという、「全体主義は悪だ」レベルの理解でよく物が言えるなという印象を抱いた。
気持ちは分かる。自分も10代の頃は自分の考えを持たず、無知そのものであった。
ツイートしている人が10代の若者であれば良いが、いい大人があのようなツイートをしているのだとしたら、日本の教育の成れの果てだな、という感想しか持ち得ない。
自分も例外ではない。人間は忘れる生き物だ。だから考えることをやめた大人はもう終わりなのだ。
『新装版 日本教の社会学』
正教分離が無条件に悪だとするなら、先程の人間たちは、正教分離を行っているドイツをどう見るのだろうか。
3/9訂正 ○正教分離を行っていない
そんなドイツにGDPを抜かれ、いまや生産性や幸福度でも劣っている日本はどこへ向かうのか。
一度このことを経済の観点からではなく、歴史や民俗史的な観点から眺めてみるべきではないのだろうか。
・・・
前半メモ
民主主義について
(民主主義とは国民を大事にするものだ、という俗説に対する小室直樹の見解)
(小室直樹)”いろんな思想がありますけれど、国民を大事にしなくてもよいという思想がむしろ例外なんですね。” P33
“だから国民を大事にするのが民主主義であれば、民主主義以外の思想なんていうのは、まずほとんどないですよ。” P34
“論理的にいって、デモクラシーであるかないかということと、軍国主義であるかないかということはまったく無関係です。” P34
“ですからフリーというのは、そもそも何とかかんとかをする権利という意味だった。” P44
フリーマン・・・東インド会社で貿易する権利のある人
フリーマンの話が少し語られたが、欧米の「自由」が「権利」とセットであるということは小室直樹『日本人のための憲法原論』でかかれている。
昔、誰かに反論された覚えがある。
「いや、ここ日本だから」
欧米の政治制度をそのままコピペして移植したのが戦後日本の始まりだとしたら、やはりその理屈は通用しない。
ハードだけを持ち込んだようなものである。
ソフトが何もインストールされていなかったら機能しない。
ましてやソフトを日本独自で開発したようでは本末転倒ではないか。
いや、例えが悪いかもしれない。
欧米の慣習と日本の慣習は違う。
民主主義のプログラムは明かに欧米の慣習がもとになっている。
プログラムを、日本の慣習に合わせて作成したソフトをインストールしたところで、ハードが同じでも機能の仕方は異なる。
だから「ここ、日本だから」は的外れな指摘だと言える。
小室直樹らは日本の多数決は、政治においては「多数無決」と批判。
政治家が掲げた公約を守ったかどうか、主権側が判定できないことがあるからである。
神学的な背景を大いに持つ欧米民主主義の本質を日本人が理解するのはかなり難しいのかもしれない。
日本の政治が機能していないとするならば、犯人はコピペであり、宗教(とくにキリスト教)への無知からだとしか思えない。
このことを踏まえ、「正教分離は悪である」という命題を前にした今、宗教なしには始まり得なかった資本主義とデモクラシーを、どう捉えたらいいのか、どう捉えるべきかを彼らに問いたい。
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後半メモ
小室直樹「差別用語という単語自体が(差別を)絶対化している」
⇒アメリカは差別を「就学における差別」「住居における差別」などと分解し、部分的に撤廃している。
差別問題について自分は問題意識が薄かったのであまり深く考えたことがない。
小室直樹は逆差別が起きる原因を「言霊の信仰」と表現していた。
言葉には力があると実は無意識に強く思っているということだと自分は解釈した。
だから差別的な言葉に対する拒絶感が湧くのである。
言葉には何の力もないと万人が考えていれば「差別用語」という概念すら存在しないだろう。
小室直樹「戦後日本は軍国主義国家ではない」
日本の組織の非合理性がその原因だとされる。
医者も芸術家も兵士になって戦争に参加する。
岡本太郎もそうであった。
アメリカはそうではないという。適材適所で戦力をいかに増強するかを徹底させる。
“彼らの能力の最適利用なんて考えてもみなせん。これほど軍国主義とほど遠いことは考えられない。” P83
日本の組織が合理性に欠けていたのはなんとなく想像ができる。
『菊と刀』を思い出す。
精神は物質を上回る。これが当時の日本の考え方であった。
思想として悪くはないと思うが、戦場では役に立たないものであった。
何事もアメリカの猿真似はよくないとは思うが、日本の欠点が多く露呈したように思えた読書時間であった。
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『無敵のソクラテス』
池田晶子も差別について書いていた。
ソクラテスと作家の対話形式で表現の自由について語られた。
差別用語が増えると表現がどんどん制限され、廃業に追い込まれるのではないかと作家は懸念する。
ソクラテスは、どこまでも芸術家は自由であるべきではないかねと語る。
小説、戯曲、詩。
そもそも文学は形式で満ちており、その他にも文法的な制約もある。
池田晶子はその時点で既に不自由なのが作家だとソクラテスに語らせる。
最終的には、どれだけ言葉が規制されようとも、自由な精神までは規制されないから、そこから何を表現できるか問うのが自由たる芸術家の態度ではないかね、といった調子になる。
自分が欲しいものを他人に求めるのは卑しい。君はその点で彼ら差別者となんら変わらないと語った。
小室直樹も池田晶子も、無知であることがいかに有害なのかを教えてくれる。
Twitterは有害生物で満ちている。
自分は絶対にそうなってはならないと思うに至る。
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『明日、ぼくは店から棚からヘイト本を外せるだろうか』
今日手に取った本は差別に関することが多い。
こちらも同様であった。
著者はさすが書店に勤める読書家とあってか、イスラム教にまつわる厄介な出来事に対して冷静に対処した。
日々少しずつでもいい。何故対立は起こるのか。誰が何を考え、誰が何を訴えているのか、どういう理由でそう考えるのか、本を読んで調べる。考える。想像力と知性は時に力を発揮する。
“他者を知ることが大事だと思う。少なくとも、知ろうとすることが。他者を知ることを助けてくれるのが本であり、書店は知ろうとする人が訪れる場所でありたいと思う。” P127
メモ
日本国憲法第二十一条
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」
小室直樹は、憲法と民主主義は無関係であると書いていた。
『日本人のための憲法原論』を読み終わったのは約一年まで、さすがに少し忘れてきた。
小室直樹「憲法とは国に対する命令である」
これだけは忘れてはいない。
『絶歌』という本が波紋を呼んだことについて書かれていた。
表現の自由とは何か。誰のためか。
規制なしにやりたい放題。そういう場合、公共の福祉と言論の自由とは両立するか。
いろいろ考えさせられた。
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『崇高と美の観念の起源』
美について、第二編を地道に読み進めた。
読んでいて、生物としての人間、社会のなかの人間として、普遍的な美というもの、そしてその原理は果たして本当にあるのかと自分は疑問に思い始めた。
人間は鳥を美しいと思う。
しかし蟻はそうは思えない。豚はどうか、バッタはどうか。
美しいとは言えない。
逆はどうなのだろうか。
バッタは孔雀を美しいと思うか。
豚は鷹を美しいと感じるか。
生物上の認識能力という制約がそこにはある。
美人の定義も、100年経てば少しずつ変わる。
1000年前の美人を現代人のほとんどが美人と認めるかは疑いの余地がある。
形而下のことよりも、まずは形而上のことを考えるべきではないのか。
バークがどこまで踏み込んで論じるか。
公開日2024/3/9