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日記
突発的にルソーの本を読みたくなり、『学問芸術論』は読んだのでこちらの『人間不平等起源論』を読んでみようと思うに至る。
ルソーは理想主義者として様々な人間から批判を浴びているのは重々承知である。
しかし批判するのは誰でもできる。ひとつの体系を1から示した人間のほうが自分は信頼に値すると思っている。
批判しかできず、ひとつの社会思想、社会哲学を創造できない人間はいくらでもいる。
ルソーから何か学べることは必ずあるはずだ。ルソーを読んでいない状態ならば自分は世の中に溢れるルソー批判について何も言えないと思い、とりあえず読もうと思うに至る。
今日は60項ほど読み進めた。
メモ
“自然の不平等の源泉を問うことはできない。この語の定義そのもののうちに、答えが示されているからだ。自然の不平等と政治的な不平等に間に、何らかの本質的な絆があるのかどうか問うことは、さらに意味のないことだ。この問いを言い変えると、命令を下す者は、服従する者よりも必然的に価値が高い存在なのか、身体や精神の力、知恵や徳が、同じ人のうちでいつも権力や富と比例しているかを問うことだからである。” P50
・・・
『なぜこれまでからこれからがわかるのか: デイヴィッド・ヒュームと哲学する』
メモ
“(・・・)ヒュームによれば、印象とは感じるものであるが、観念とは考えるものである。” P41
・・・
立ち読みしすぎて誰の箴言か忘れてしまったが、印象的な言葉がある。
美的なものを目的とする限り、決してそこには到達できない。
なにか別の種類の、純粋な目的を一直線に追究した結果として美的なものは生まれるという言葉であった。
カントの無目的の合目的性はこの思想にも当てはまると感じた。
カントは絶えず自分に影響を与え続ける。
つづく