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三宅玲子『本屋のない人生なんて』光文社 (2024) 読了+読書日記1334

       三宅玲子『本屋のない人生なんて』光文社 (2024)

■株式会社光文社

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公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/kobunsha_cs?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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感想

随分前になるので、具体的に誰が言っていたのか忘れてしまったが、いまだに忘れられない本の言葉がある。(タイトルも不明)

アダム・スミスが分業の重要性を訴えていた件について「それじゃ生活がつまんなくなるじゃねえか、ばかやろう」といった内容のことを書いていた。

アダム・スミスは、道徳心があるという前提では「私利私欲のための経済活動は、全体にとってプラスになる」と考えていた。

加えて、分業化することで生産性が上がること訴えた人物である。

(アダム・スミスについてはこちら)

神戸大学:川畑康治

https://www2.kobe-u.ac.jp/~kawabat/modernecon_j3.html

   

ところがどっこい。

分業がもたらしたのは「代替可能」という、人間性の否定であった。

「お前の代わりならいくらでもいる」というのがその決まり文句となっている。

小川哲氏は、「他の仕事をやりたくないから小説家をやっている」と書いていた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/08/11/%e5%b0%8f%e5%b7%9d%e5%93%b2%e3%80%8e%e5%90%9b%e3%81%8c%e6%89%8b%e3%81%ab%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%af%e3%81%9a%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e9%bb%84%e9%87%91%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%80%8f/

   

本書の登場人物のなかにも、同じような理由で本屋を選んだ人がいる。

資本主義の是非は問わないが、自分も似たような感覚を持っているので共感できる部分が多かった。

本屋は、じっくり考えたい人のセーフティーネットにとどまらず、思考を鍛える場所でもある。

このインフラが日本中から消えつつある。

その帰結には何が待ち受けているか。

メモ

“「信仰のない時代を僕らは生きています。この世の中に唯一あるとすれば、お金しか信仰するものはない、今はそんな時代でしょうか。でも、お金は信仰するに値しないし、経済原理主義は限界にきていると経済学者たちが認めています。じゃあ、僕らは何を信仰していくか、それが今の時代を生きるテーマだと思います。自分の信仰は自分で編んでいくしかない。ひとりひとりが自分の信仰を編んでいくとき、本が役に立つと思うんです」” P286

”「ぼくは、この町の暮らしと本をつなぎたかったんです。つまるところ、お金を落としていく人を外から呼び寄せるやり方は、この町の資産を消費するようなものなんですよ。美しい町並みを吉井町の資本と捉え、町並みを使って外から流入する外貨を稼ぐのが町おこしだとするなら、いつか人々が去った後に町に一体何が残るんでしょう。そうではなくて、この町の人たちがここに暮らすこと自体に意味がある。そんな町の内側から湧き上がるような力をつけていくことこそ大事だと思うようになりました」” P295

  

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読書日記1334

     ピーター・シンガー『私たちはどう生きるべきか』ちくま学芸文庫 (2013)

■株式会社筑摩書房

公式HP:https://www.chikumashobo.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/ChikumaShinsho?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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日記

第六章「日本人の生き方」を読み終えた。

アメリカの視点から日本の良いところ、悪いところが指摘される。

例えば、「神との契約」が基盤として成り立っている、ピューリタンたちで建国された合衆国から見ると、日本の企業における契約書の内容が奇妙に見えるという内容だった。(個人的には、部分的にはそうは思えない箇所はある)

こんな感じである。

“家族のような企業の性質は入社のさいに従業員が署名する文書にも現れている。西洋の雇用契約と比べれば、日本の契約文書には従業員の権利や義務が書かれておらず、給与も明記されていない。また、労働条件に対する不平不満の解決方法や、事前に解雇通知を出したり、解雇したりするための手続きも何ら記載されていない。” P209-210

言語上の問題が関係しているだろうとピーター・シンガーは指摘していたが、自分も共感できる。

例えば、二人称が「私」「自分」でも通用する文脈が存在する。

「わたし?」

「そうだよ「わたし」だよ」

この例は英語ではまずない表現と言える。

個人主義と集団主義を、言語の観点から分析されていた。

詳しくは分かりかねたが、考察に値すると言える。

本書は翻訳書なので第六章は日本人にとっては、アメリカにとって何が普通なのかが逆に分かる構成となっていた。

教育にもかなりの相違が見られた。

文化的な相違は相当なものだと今日は感じた。

つづく

   

公開日2024/3/27

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