■株式会社筑摩書房
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■株式会社勁草書房
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■株式会社青土社
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■株式会社岩波書店
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日記
少しだけゲームセンターで遊んで帰った一日であった。読書ばかりしていて若干の不調を感じていた自分は、ほんの少し、別の活動を行うことで何か変化があるかもしれないという期待を抱きながら、気がついたら没頭していた。
しかし、読書時間は少なからず、心に安定をもたらしていると確信している。うたた寝である。
ブログで50回くらいは書いたが、頻繁に意識が飛ぶ。しかしなぜかページは飛ばない。なので昼寝と同じくらい浅い眠りだと推測する。この意識を失う少し前の、心地よい瞬間、あれは間違いなく交感神経には良い作用をもたらしているはずだ。良い意味でも、悪い意味でも落ち着いた日々が続いている。
そこに少しだけ変化を取り入れる。これで何が変わるのだろうか。日記を見ながら、書きながら変化を客観的に見てこうと思うに至る。
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『マインドワンダリング: さまよう心が育む創造性』
認知行動療法(CBT)を受けて4年くらいたつ。最近落ち着いている時間が多いので、マインドフルネスはあまりやっていなかった。ただ、本書を読んで、少しだけ再開してみようと思うに至る。
というのも、本書によれば、何もしていない時間ほど実は脳は活発に活動をするのである。何もしないが、何かうっすらと物事を考えている。それをマインドワンダリングと呼ぶということであった。
自動思考という概念がこれと似ている。つまり、思考というのは心臓のようなもので、止まることはない。
雑念はあれこれと展開されていく。ラーメンのことを考えているのに、次には恋愛のことを考えていたりする。ただ、これは無意識の領域においては、自分では自覚できないところで何らかの因果関係が存在するようである。思考は連想によって展開されていく。つまり、ラーメンと恋愛との間には概念を経由する、なんらかの糸、鎖があるのである。目を閉じない限り知覚情報がどんどん脳みそに送られてくる。従って、その視覚情報も連鎖を誘発する。つまり、ラーメンと恋愛の間にはその視覚情報が介入している可能性も否定できないということである。また、耳は絶えず音を脳に送り込む。人間は情報の洪水からは逃れられない。
なるほど、と。マインドフルネスは現在に集中する。価値判断をしない。受け流す。これはつまり思考の連鎖を封鎖するという作業なのだ。いろいろとCBTプログラムのことを思い出してきた。
以上のことから、スマホをついつい見てしまう人の原因を推察してみると、つまり、実は逆説的にその情報の洪水に耐えられないということなのだろうか。反芻、騒音、思考。
スマホは注意をとりあえず画面に一点集中させてくれる。これは逃げとしてではあるが、心理的には妥当な行為ではないか。
もしかすれば、都会特有の現象なのかもしれない。田舎でもスマホをいじる人は多いのかもしれないが、この背景を考えれば自分はスマホが注意をそらすのではなく、アフォーダンスとして都会がスマホをいじらせる環境を与えているのかもしれない。
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『なぜ私は私であるのか: 神経科学が解き明かした意識の謎』
瞬間移動のパラドックスについて語られた。ああ、やはり自分と同じことを考えている人は他にもいるのだなと、ほっとするものがあった。
完璧に自分のコピーを火星に送り込めば、自分は気が付いたら火星にいるのではないか、という哲学的な思考実験のことを指す。
筆者はすぐに答えはいわず、自己というものは想像以上に複雑だということを語り始めた。このあたりから今日は読めていないのでまた後日感想を書きたい。
頭蓋骨がくっついたまま生まれてしまった双子がこの世界に存在している。一方がオレンジジュースを飲むと、もう一方がそれを感じるという、超越的な現象について書かれていた。
そのことを考えたことは自分は今まであまりなかった。
ただ、直観的には自分のコピーを用意したところで、自分には何の影響もないとは思える。
それでも、すべての物質的状態、配列が完全一致しているにもかかわらず、自分の意識が唯一無二であるというのは論理的には矛盾しているようにも思える。これを否定すると魂とかの存在を認めることになる。
少し考えただけでは全く歯が立たない問題だ。読んでいて不思議な感覚を覚えたので、少しずつまた読んでいきたい。200ページ弱は読み進んだ。
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『価値があるとはどのようなことか』
メモ
“義務は行為の理由です。” P35
“愛着の対象が唯一のものとなるのは、対象の性質のうち、対象が現に有する価値にとって不可欠であると同時に、対象への愛着の価値の少なくとも一部をなすようなもののひとつが、一回しか生じることがない場合です。これが、なぜ当の対象が唯一のものであるかの論理上・概念上の説明です。私がたちがより関心を抱くのは心理学的な説明、つまり、この種の愛着が私たちの人生の意味にとって核心的なものなのがーーー私はそうであろうと感じていますがーーーそうならばそれはなぜか、ということです。残念ながら、私はこの点についてさしたる答えを持ち合わせていません。” P41-42
「意味」と「価値」の言葉の使い分け、差異について今日も思いをめぐらせた。(三日目)
本書を少し読んでから、パラパラとめくり、何かヒントとなるような項目はないか探ってみた。そしてひとつだけピンとくるものを感じた。
「価値は相互依存的なものである」というくだりのページであった。公的な価値という言葉は存在するが、「公的な意味」なんていう言葉は、普通は使わない。
価値と意味の使い分けはなぜそもそも起こるのか。これが本当に謎である。言語哲学的なアプローチもあるかもしれないが、そういったアプローチでこの問いを突きつめる本がないので自分で考えてみようと思い、とりあえず惰性で続いてる。
世界遺産なるものも、おそらく「公的価値」を備えているのである。
「唯一無二」という、この41ページのくだりを読んでいき、自分は「一回性」という観点から価値と意味の違いについてある程度深堀できるように思えた。
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別の方法も考えた。
例えばヒュームの法則によれば事実「~である」から価値「~べき」を導出できない。
意味はどうか。そもそも意味は「~である」に近い。
事実から意味を導出できるか?できる。
というよりも、「意味」という言葉は多義的で、解釈に幅がある。
事実の内容そのものが「意味」と言える場合もある。
概ね「どういう意味?」と問うときの回答は、その事実の「内容」である。
「どういう価値?」などと人は言わない。
こういうことを考えていくと、明らかに「意味」と「価値」は使い方も、厳密な意味も変わってくるように思えてくる。
しかし依然として謎は多い。ただ、このことを考えると、副次的に何か人間の深い理解につながると直感が言っている。
つづく