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つづきをよみおえた。(新・読書日記146に収録)
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感想
1928年、ヴァージニア・ウルフが行った講演にもとづいて本書は編集されている。
1919年のイギリスではようやく女性に投票権が与えられ、聴衆はこれから社会に旅立つ若い女性たちということで、本書はその人々へのメッセージということで、ウルフは文学と社会について200ページ弱語りかけた。
いろいろな読み方ができるが、少ない時間のなかで自分が本書から読み取れたのは主に二点だった。
・教育がなければ偉大な作品は書けない。
・封建制の時代、女性は家庭という牢獄に閉じ込めらていた。そして、結婚相手は両親が決め、それを拒否すると強い暴行が加えられた。騎士道と武士道は野蛮であるという事実を確認。
自分は前者のほうを深く考えさせられた。なので今日はそのことを書いてみたい。
先にウルフの言葉をここにも書き残したい。
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メモ
“創造の業を成就させるためには、精神の女性部分と男性部分の共同作業が欠かせません。正反対の二者の床入りが行われなければならないのです。” P180
ウルフの指摘する両性具有者
キーツ、スターン、クーパー、ラム、コールリッジ、シャイクスピア、プルースト
ウルフの指摘する男性過ぎる作家
ワーズワース、トルストイ、ベンジャミン
「貧者が偉大な詩人になることもある」という批判に対するウルフの見解
アーサー・クィラー=クーチの言葉を引用しながら語るウルフ
“だれよりも率直に述べてくれます。「ここ百年そうだったように、現在なお……貧しい詩人には露ほどのチャンスも残されていない……アテネの奴隷を父として生まれた少年と同様、イングランドの貧しい子どもも、優れた著作が生まれる土壌である知的自由を享受する望みはほとんどない」。そういうことなのです。知的自由はつねに物質的なものに支えられています。” P186
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社会学は「社会が個人を規定する」という前提のもと研究をしていると小室直樹が書いていたが、自分もいろいろな人生経験、読書体験を通じてだんだんと実感が湧いきた。
日本の小説界隈は幸いなことに、今は誰にでもチャンスは開かれているように思えるが、それもつい最近のことなのかもしれない。
学歴は関係ないと言いながらも、統計的に見れば社長は高学歴が多いだろうし、社会に偉大な貢献をした人物もその例外ではないように見える。
機会の不平等は是正すべきかどうか。これは平等であるべきだが、そうは考えない保守的な著述家も少なくとも存在する。
社会的には「誰にでも公正で平等な機会を」と流れがなって、大学全入時代に突入し、結果的に大学は大卒という資格を取るための就職予備校的な機関になってしまった感は否めない。
平等を追求し過ぎると、逆説的にあまり良い方向に向かわないことも世の中あるものだ。
しかし教育だけはそうではあってはならない。と、自分はしばらく思っていたが、これもなかなか難しい問題だということを、いろいろな書物を読んで感じ始めた。
このことについてはまた別の記事に書いてみようと思う。その背後には「運命は自分でコントロールできる」という、運命論に反対する態度が見られるからである。自分は亀山郁夫氏の本を読んで、「今、日本人は運命に対して受け入れる姿勢がない」といったことが書かれていたが、自分はそれを読んでいろいろ考えさせられたことを覚えている。
運命に対して反抗的な態度をとるというのは、例えば好き勝手に転職したり、合わないといってすぐに仕事をやめる若者に顕著である。このような風潮は、超長期的にみればあまりよくないのかもしれない。ここは意見が真っ二つに分かれるような難しい問いである。
教育は大事だが、それを(経歴といったステータスなもの)どう生かすのかではなく、物事を広く考える思想が必要なように思える。
ウルフは前提として、まずは教育が絶対善だということを言いたいのだろうと自分は感じた。それは正解だ。しかしその先を考えるのはやはり読み手の思考に委ねられるのだろう。