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新・読書日記147(読書日記1487)

      ロジェ・グルニエ『書物の宮殿』岩波書店(2017)

■株式会社岩波書店

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    松岡正剛『千夜千冊エディション 方法文学 世界名作選II』角川ソフィア文庫(2020)

■株式会社KADOKAWA

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日記

『千夜千冊エディション 方法文学 世界名作選II』

若かりし大学時代、英米文学の講義で『Passage to India』という映画を観た。その時の自分は何について描かれているのかさっぱり分からなかった。今も分からないのであるが、西洋と東洋との邂逅というテーマで書かれているというのはうろ覚えで何となくイメージはついている。今日は松岡正剛氏がナビゲーターとして、河出文庫から出ているフォースター『インドへの道』の輪郭を素描してくれた。

松岡正剛氏は、フォースターのリベラルアーツが本作品に詰まっているということを書いていた。この作品は非常に複雑であって、考えるポイントが多い。西洋から見た東洋のことを、東洋としての日本人から見た場合にどのようなギャップを感じることができるのか、西洋にとって東洋とは何か、そんな陳腐な問いはサイードらのポストコロニアリズムに譲って、自分はポゼッション、つまり所有すること、その点においてのみ着目してこの小説を読んでみたいと思うに至った。所有の概念は大学生の時代も、今も、謎が多く考えるに値するテーマであり続ける。しかし今日の千夜千冊を少し読んだだけではとくに深いことは考えられなかった。松岡正剛氏の語り口に面白さを感じるだけで、むしろそちらに魅了される、そんな昼間の読書時間であった。

  

・・・

『書物の宮殿』

今日の夕方以降は、自分でも記憶から抹消したいほどに惨めな時間であった。未来の自分が今日何があったのかを知りたいにせよ、それでも自分は語ることを拒否する。そういう日もある。

そんなときに『書物の宮殿』は驚くほどしっくりくる本であった。今日はこの本に助けられたのかもしれない。ギリギリのところで自分の信念は砕けずに済んだ。そのギリギリのところで自分は信念とプライドについて考えさせられた。

ボードレールはフランス人権宣言の17条に、「自己矛盾する権利」と「おさらばする権利」を、皮肉をこめて追加したとグルニエは語る。

“とりあえずは、ボードレールを正確に引用しないといけない。(・・・)「近ごろ話題になった諸権利の中で、忘れられているものが一つある、その証明には万人が利益を感ずるはずのものでありながらーーーすなわち自己矛盾する権利」” p47

   

おさらばする権利の意味については敢えて触れない。しかしこれは哲学者に限らず文学者、詩人も通過せねばならないテーマであったようである。カミュとノヴァーリスについてグルニエは語る。

“若きカミュは、センセーショナルな表現により、このことこそ哲学にとって唯一の問題だとした。ノヴァーリスもすでに、次のように述べていた。「真の哲学的な行為とは、自己を殺すことである。これが自殺であり、これこそ、哲学なるものの本当の始まりなのだ。」” P51

  

やや誇張されているかもしれないが、精神がは肉体によって飼いならされることによって腐敗する、というのは真実だと自分は考えている。自己を殺すことは肉体を殺すことであって、精神を殺すことではない。

文学が活力の泉であるならば、苦悩は創造の泉である。

創造によって苦悩を昇華させる。これが文学者たるものの前提条件なのだ。

これを胸に刻み、明日も読書を行う。

つづく

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