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日記
昨日の悔しさが抜けきれなかった。睡眠薬を飲んでもあまり聞かず05時半には目が覚めたのでいっそドトールで読書をしようと思うに至った。
最寄り駅のドトールは凄まじく寒い。これはもうわかっていたので予め春用のパーカーをカバンに用意しておいた。それを着てもまだ寒い。推定温度は20度。外は30度あるので、なんという温度差なのか。2時間半滞在したが、やはり回転率は高い。あまりに寒すぎて半袖の人は退散せざるを得ない。どんどん人が入れ替わっていく。
今日は坂本龍一とロジェ・グルニエ、ドストエフスキー、あとは池澤夏樹のエッセイを軽く読んだ。
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『坂本図書』
坂本龍一は『坂本図書』以外の本からも、フランスの哲学書をよく読んでいる印象がある。この世代はよく読んだのだろうか、という疑問がわいてくる。これは恐らく流行のひとつとして見ていいのかもしれないが、ドストエフスキーの名前くらいは知っている親はデリダだとかドゥルーズなどは全く知らない。これが奇妙である。流行といってもさすがにフランス哲学は一部の人にしか流行らなかったのだろうか。1980年代のフランス哲学隆盛期を知らない自分が知る由はない。
坂本龍一でさえもデリダの本は40年以上分からなかったと書いている。難解というよりも、あれはどう見ても悪文だろうと自分は思いながらも、言語のギリギリの領域で闘ってきた人間しか分からないことなのかもしれない。
メモ
“ジャック・デリダの”脱構築”は、要するに”革命”のことだと、僕は思う。” P24
(福岡伸一の本に触れて)
“ところで機械的な生命観はいつ始まったのだろう。デカルト的世界観などとよく言われるが、より遠く遡るのではないか。(・・・)還元主義といってもいい。近代科学は還元主義によって著しく発展し、私たちの生活も便利になった。しかし、それでいいのか、本当にそうなのか、果たしてそれが自然の実相なのか、という疑問が僕の頭を離れない。” P71
“(・・・)矛盾は矛盾として受け入れるしかない。” P78
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『書物の宮殿』
メモ
“結局のところ、小説とはいかなるものだろうか?(・・・)人生というのは、生のままではあまりに一貫性を欠き、謎めいていて、そこから教えを引き出すことはむずかしい。この人生を、小説を通じて解体し、再構築すれば、われわれは考えをめぐらせることが可能となる。” P93
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池澤夏樹氏がバルガスリョサの長編について語っていた。1800項もするその長編は、池澤夏樹氏でさえも通読しただけでは深い読み方は難しいようである。一回目はどうしてもプロットを頭のなかに刻み込む読み方になるのだという。そしてようやく二回目から深い考えをめぐらせることができる。
そういう読み方もあるのか、と少しほっとした。学生時代から自分は「国語力」がないと自覚していて、偏差値も常に平均以下であった。なので文学好きは読んだら読んだで頭に入っていくものだと思っていたし、そういった、若いころから古典を読みふけっていた人たちになんとか追いつきたいと、自分は行動してきた背景がある。この池澤夏樹氏の語りに少し救われた気がした。トマス・ピンチョンを読んだ人の書評を読んだことがあるが、たしかに今思えばあまり中身のない書評だったなと思う。それはつまり、あのような超長編は読むだけで精いっぱいだったのだ。
『悪霊 上』はマイペースで読んでいこうと思うに至る。カラマーゾフも、罪と罰も最後まで読めなかったのは、内容の把握にこだわり過ぎたのかもしれない。せっかく岩波書店さんが復権してくれたので、なんとか『悪霊 上』は最後まで読みたいと、強く思っている。なんとか250項ほどまで読み進んだ。
つづく