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新・読書日記150(読書日記1490)

             執行草舟『超葉隠論』実業之日本社(2020)

■株式会社実業之日本社

公式HP:https://www.j-n.co.jp/

公式X(旧 Twitter ):https://x.com/jippi_pr

       永田希『積読こそが完全な読書術である』イースト・プレス(2020)

■株式会社イースト・プレス

公式HP:https://www.eastpress.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/eastpress_ebook?lang=ja

          松岡正剛『宇宙と素粒子』角川ソフィア文庫(2020)

■株式会社KADOKAWA

公式HP(文庫):https://kadobun.jp/special/gakugei/#offcanvas

公式X(角川ソフィア文庫)(旧 Twitter):https://twitter.com/kadokawagakugei?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

           ドストエフスキー『悪霊 上』岩波文庫(1989)

■株式会社KADOKAWA

公式HP(文庫):https://kadobun.jp/special/gakugei/#offcanvas

公式X(角川ソフィア文庫)(旧 Twitter):https://twitter.com/kadokawagakugei?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

         正宗白鳥『白鳥評論』講談社文芸文庫(2015)

■株式会社講談社

公式HP:https://www.kodansha.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/KODANSHA_JP?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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日記

2年ぶりに『超葉隠論』を読みたくなった。

この本は自身の、執行草舟氏の数あるなかの初めて読んだ本にあたる。あまりに強烈、情熱的で哲学的でもあるこの本に引き込まれたことを記憶している。装丁も綺麗に出来ているので手触りやページのめくり心地のよい本であった。

有隣堂で買おうと思ったが品切れ。八重洲ブックセンターも品切れだったので、リクスのあるAmazonで購入することにし、今日届いていたので少し読んだ。

ブログに何回も何回も書いているので割愛するが、池田晶子、岡本太郎、執行草舟氏は共通して絶対的な垂直的思考の持ち主であり、自分もそうでありたいと強く思わせられる著述家であり哲学者だ。

自分は苦悩に苛まれた時には必ずこの3人の偉大な人生を参照することにした。

  

価値を価値たらしめるものは精神だと池田晶子は語り、無目的の体当たりを岡本太郎は語り、毎日体当たりで生きる執行草舟氏は、精神の価値を物質主義の否定によって高めることを語る。

世の中の9割は本当は逆説で出来ていると思わせられることが個人的には多く、その多くをこの3人の言葉によって裏付けられたように自分は感じた。

言葉とは価値であると、価値とは言葉のことであると池田晶子は語り、執行草舟氏は価値そのものである(とみなされることの多い)物質主義そのものを否定すること(『葉隠』に生きる執行草舟氏の思想)によって逆説的に世の中に大きなインパクトを与え続け、それが実は本当の価値を生み出しているのではないかと読者は思うわけである。

岡本太郎も物質主義の拒絶・拒否によって多くの人間に影響を与えたと自分は思っている。そして与えられたうちの一人が自分である。

  

自分は意味と価値の違いについて、不思議に感じているのでしばらく考え続けている。

これを別の言葉によるアナロジーによってある程度説明できるのではないかと思いつつある。

言葉が精神の骨だとすれば、それを肉付けするのは信念ではないのか。信念の内容は、実際に言葉によって構成される、

信念が言葉の肉であるとすれば、プライドが精神の筋肉のような気がしなくもない。そんなことを考えていると、アナロジーによってある程度説明できるのではないかとやはり思う気がするのであった。

  

メモ

『宇宙と素粒子』

ゴーギャンの問い「われわれはどこから来て、どこへ行くのか」について語る松岡正剛

“(・・・)しかし、この問いを含まない哲学や科学など、見るにも読むにも論評するにも足りないともいうべきだ。” P72

  

・・・

『白鳥評論』

“横光利一氏の作品は、文章が長ったらしくて読みづらかったが、我々には感ぜれない感覚を有っているようである。新時代の或る種の文学の領域が氏などによって拓かれるのかもしれない。(・・・)小林秀雄氏は、われわれとはちがった一層新しい芸術眼を有っているようだが、何となく堅くなり過ぎて、溌剌たる若さを欠いている。” P30

  

・・・

『悪霊 上』

270項を超えたあたりから、そろそろ物語が展開している空気が伝わるが、プロットの把握すら困難で、何回も読まないと本書の深みには到達できないと、やや諦めの念を抱いた。

  

つづく

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