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新・読書日記154(読書日記1494)

高橋たか子『高橋和巳という人』河出書房新社(1997)

■株式会社河出書房新社

公式HP:https://www.kawade.co.jp/np/index.html

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       ドストエフスキー『悪霊 上』岩波文庫(1989)

■株式会社岩波書店

公式HP:https://www.iwanami.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/Iwanamishoten?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eautho

その他数冊

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日記

うまくシエスタできたので今日は仕事終わりも集中力が続いた。

疲れているように見える人は、実際には眠いだけで少し仮眠取れば元気になれるのではないか。

シエスタはタイミングが全てだ。これを逃すと電車でいくら寝ても疲れは取れない。そんな気がしてくるのであった。

  

・・・

『悪霊 上』

350ページを超えてきた。そろそろ集中して読んでみようかと思う気にもなってきた。

どんな人がどんな頻度で物語に出てくるのかようやくつかめてきたので、整理しながら少しずつ、じっくり読んでいきたい。

  

・・・

『高橋和巳という人』

図書館で一度本書を読んだ記憶がある。そのときは借りて返すのが少し面倒だと思っていたので40ページくらい読んで本棚に戻してしまった。

ブックオフに行くと本書が置いてあった。この邂逅を、セレンディピティを大切にしたいと思ったので、Amazonより高い価格でも買うことにした。

つづきをよみすすめた。

  

読んでいくと、高橋和巳は私小説に価値を認めなかったのだという。

『非の器』や『我が心石にあらず』『日本の悪霊』など自分は読んできたが、どれも濃密でリアリティなものばかりであった。しかし自分は誤った見方をしていた。これらには高橋和巳自身の経験が少なからず含まれていて、物語の節々に高橋和巳の思想が埋め込まれていると勝手に思っていた自分の浅はかさを知る。

高橋和巳は膨大な資料を読み込んでいて小説を書いていたのだと言う。

“常に、私は、和巳が私小説に反する言葉を口にするのを耳にしていた。小説というものは、作者が実生活で体験したことを書くものではない、という確固たる立場である。” P86

 

フランスの小説観

高橋たか子「(フランスの人々は)小説というものをそれ自体の芸術的・思想的価値においてこそ読み、決して作者の私生活をそこから引き出してみるといった卑俗な読み方はしない」

  

高橋和巳と意識について

(評論家としての高橋和巳がすぐれている理由を語る高橋たか子)”(・・・)対象とする誰かの文学の意識の深みをよく把みとることができてたから。また、自身の文学で傑作となったものは、自分と環境と時代の意識の深みの混然としたるつぼを、或る形でうまく掬いとることができたから。自身が深みにいるのだから、それが大きくでた。” P58

  

・・・

ニーチェが心理学と小説家の関係についてうまい具合に書いていた。

例えば、感覚で何事もこなす才能のある人は、往々にしてその原理、メカニズムを客観的に語ることは難しい。優れた小説家も似たようなもので、心理学に全く詳しくなくても首尾一貫とした人間の複雑な物語をかききってみせる。しかし当人にしてみれば、その理由(HOW いかにして)、人間がどのようなときにどのように振舞うかを学問的に詳述することはできない、といったことが書かれていた。

高橋和巳の蔵書が書かれていたが、あまり心理学の本は読んでいない印象を受けた。

自分の顔は自分だけでは見えない。才能は鏡を媒介してのみ投影される。これは面白い。

というよりも、ニーチェの考えることが多様でまた面白い。

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