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感想
本書はいろいろな本と関連付けることができるので、思考の幅が広まったように思う。
『問いかける法哲学』の著者が「視野が広がる本」と書いてあったが、それも納得できるものであった。
自由競争の意義は全く否定できないが、自由競争が必ずしも万人に幸福をもたらすかどうかは分からないということも理解できた。
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幸福の定義を決めることは難しい。本書を読む前にカントの『道徳形而上学の基礎付け』を読んだ。この本は完全な「自由=倫理」を成立させるための条件について書かれている。
完全な自由を掴むことが最も幸福だという考え方もできる。それがカント主義というものだと自分は理解している。
一方で、人生においてどれだけ楽しめたか(人生楽しんだもん勝ち)が幸福の基準になる考え方もある。
これがカント主義と対立しているベンサムの功利主義だ。
カント主義と決定的に違うことは、自分の考えでは、カント主義は生きる基準が自然法則に抗う「自由法則」であるのに対し、功利主義は自然法則に従順だということだ。自然法則に従順ということは、個人的な解釈では「快楽(または快)」をいかに最大限獲得するかが幸福に生きるための条件であるということである。
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マイケル・サンデルの問いかけは、功利主義者にはあまりなびかないかもしれないと自分は感じた。
なぜなら、公共に市場の原理がどれだけ浸透しようが、功利主義者にはどうでもいいと思えるかもしれないからである。
彼らは本質的に経済活動に対して批判精神を持たないように思える。
今も昔も、それなりに神の見えざる手でうまくいく。
実際、そのロジックは一部の哲学者に引き継がれている。
自由放任主義というものだ。これは自分の勉強不足ではあるが、それなりに理論の根拠があることは疑っていない。
しかしながら、地球人、全員が功利主義者でもあるはずはない。
そういうときに、なんでもお金で売買するやり方が、地球人全体にとってどうなのか。それをマイケル・サンデル氏は問いかけているように感じた。
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本書のひとつひとつの問いは深堀しようと思えばいくらでもできる。
本書を読んだら終わりではなく、これが始まりなのである。
今は、自分とは反対にいると思われる、リバタリアンの考え方を学んでみようと思っている。
人は同じ環境にいればその環境を疑わないものである。
なので、違った環境にいる人の考え方をいろいろと学んでみたい。
つづく
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新・読書日記190(読書日記1530)
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日記
メモ
“「生成の理解がわれわれには全く拒否されている。このため、何かを見たとき、われわれはこれはすでにあったものと思ってしまう。詰め込みの体系が分かり易く思われるのはこのためである」(未知のものの説明としての因果律)。” P246
“「人生の終わりと人生が手段となりうる目的とは一致しない。しかし、その一致こそ、あらゆる創造的活動にとっての基準なのである(The end of life and the end for which it could be a means don’t coincide. And this coincidence is the critterion of all creative activities)」。” P317