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新・読書日記201(読書日記1541)

  池田晶子『睥睨するヘーゲル』講談社(1997)

■株式会社講談社

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仲正昌樹『ネットリンチが当たり前の社会はどうなるか?』KKベストセラーズ(2024)

■株式会社ベストセラーズ

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スティーブン・ピンカー『暴力の人類史 上』青土社(2015)

■株式会社青土社

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日記

言葉のことばかり考えている池田晶子が自分の職業をどう表現していいか分からないという、逆説めいた状況について書かれていた。

「ジャンルが欲しい」

「文筆家」に落ち着いたということらしいが、どうなのだろうか。

ITが発達して以降、何をしているか分からないような職業、職種が増えたように感じる。

これは広い意味で「自由」が進んだ証とみていいのではないか。

  

「ネットリンチ」という言葉は非常にネガティブであるが、なんでもかんでも言いたい放題言える社会は、そうでない社会(全体主義、独裁国家等)と比べて格段に人間らしい社会ではないか。

仲正昌樹教授は嫌がらせ行為に疲れ果ててしまったと一読者からみれば感じているので、ネットリンチという言葉を使いたくなるのは分かる。

  

ミル『自由論』の「愚行権(他人に危害を加えなければ何をしてもいい)」は社会にとって良いのか悪いのか。

自分はスティーブン・ピンカー『暴力の人類史』を読むことである程度の正しい答えが出せるように思う。

言葉は凶器にもなるが、たったの100年前までは言葉よりもはるかに危険な暴力に満ち溢れていた。

そこに立ち戻りたいと自分は思ってしまった。時事評論もたまに読むのはいいが、やはり人類史的な目線も必要に感じた。

つづく

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