閉じる

新・読書日記223(読書日記1563)

執行草舟『根源へ』講談社(2013)

長尾天『ジョルジョ・デ・キリコ: 神の死、形而上絵画、シュルレアリスム』水声社(2020)

C・ミサック『真理・政治・道徳―プラグマティズムと熟議』名古屋大学出版会(2023)

ルネ・シャール『ルネ・シャール詩集: 評伝を添えて』河出書房新社(2019)

サラ・ベイクウェル『実存主義者のカフェにて――自由と存在とアプリコットカクテルを』紀伊國屋書店(2024)

パトリック・J・デニーン『リベラリズムはなぜ失敗したのか』原書房(2019)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■株式会社河出書房新社

公式HP:https://www.kawade.co.jp/np/index.html

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/Kawade_shobo?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■株式会社講談社

公式HP:https://www.kodansha.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/KODANSHA_JP?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■株式会社水声社

公式HP:http://www.suiseisha.net/blog/

公式X(旧 Twitter):https://x.com/suisei_sha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■株式会社原書房

公式HP:http://www.harashobo.co.jp/

公式X:https://x.com/harashobo_Japan?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■株式会社紀伊國屋書店

公式HP:https://www.kinokuniya.co.jp/

公式X(旧 Twitter ):https://x.com/Kinokuniya?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■名古屋大学出版会(国立大学法人名古屋大学)

公式HP:https://www.unp.or.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/UN_Press?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日記

執行草舟氏の思想を批判的に吟味しながら絶対主義、相対主義、文明論、社会保障、障がい福祉、政治哲学等、幅広くいろいろと考えをめぐらせた。

朝からカフェで『根源へ』を読みつつ、読み終わったら電車で移動し、ジュンク堂でいろいろとまわり、いま自分の関心のある分野の本を読み漁った。

障がい者福祉の仕事をしているので、やや実務よりの本も購入して読んだ。(あまり詳細に書くと自分が働いている会社を特定される恐れがあるため部分的に割愛)

   

・・・

『根源へ』

メモ

“国家が、垂直の歴史を失った結果として、我々も死生観を失ってしまった。戦争の反動ゆえか、死について考えることを厭うようになった。その結果、「どう死ぬのか」という価値観を失うとともに、その表裏としての「どう生きるのか」という生き方の目標を失ってしまったのです。残ったものは、経済的利益の追求と、自分だけの楽しみを求める生き方でした。これだけでは文明を承け継ぐべき人間ではない。” P8-9

  

本末転倒・思考の転回

「私は何であるか」⇒「何が私であるか」

  

“現代は死を悪だと考えています。だから、考えたくない。しかし死を悪とするかぎり、当然ですが自分の生には価値がないことになってしまいます。この当たり前のことに気づいていません。ある文学によって、私はそのことに深く気づかされたのです。深沢七郎の『楢山節考』です。” P15

⇒三島由紀夫も何かの本でこの『楢山節考』を絶賛していたことを記憶している。

  

“いま、はっきりさせなければならないのは、自殺と死生観は別物だということです。死生観による死は、人生に価値をつけるためのものですが、自殺は逃げです。” P21

  

“多くの歴史家がローマ帝国の前提はキリスト教を受け入れたことが決定的要因であったと指摘しています。つまりキリスト教の不寛容さが崩壊をもたらしたと言っているのです。結果論としては、これも正しいと思います。しかし、私が言いたいのは、なぜローマ帝国がキリスト教を受け入れたのかということです。それはローマ帝国の中にキリスト教徒以外、道徳的な人間がいなくなってしまったからなのです。私はそこを重んじたい。” P24

  

“その日本文明がもつ、他の文明ともっとも異なるものは何か。それが不合理を許容する心なのです。” P37

  

⇒矛盾を「肯定的」に捉える。それすらも逆説にみえる。

  

(ルイ・パスツールの言葉)

“「実験とは、それを行う人間の思い通りの結果がくるのだ」と。つまり、実験結果は個人の意志と時代精神に支配されているのです。(・・・)科学とはそういうものだと知る必要があると言っているのです。” P49

  

『夏日烈烈』のなかで、現代社会は科学主義じゃないと執行氏が言っていた理由を、このあたりで少し確認することができたように思う。おそらくは、ガリレオやニュートンの頃のように純粋な、自然という謎を解き明かしたいという動機ではなく、なにか目的があってそれに合わせる形で人間が科学に飲み込まれているということを言いたいのではないだろうか。

  

56項は科学に対するハッキリとした批判がみられた。

”科学の中には真実は一つもない。科学とは、一つの決められた考え方によって、段階的に考えていく過程を表す言葉に過ぎない。なおかつ、物質に起因するもの以外には、まったく適用不可能な方法論なのだ。” P56

  

次に医学・医療への批判とつづく。

“医学も科学を突き詰めたためにおかしくなっています。癌細胞はやっつけたけれど、副作用で患者は死んだということが平気で起こっている。” P63

  

ここまでの流れを文明論のなかに組み込む執行氏。

“文明の中で生まれた思想は、必ず最後には民主主義的な考え方にたどり着いて崩壊に向かうのです。(・・・)そして平等という綺麗事がくる。平等はつまり秀れたものを許さぬ思想です。” P69

  

・・・

メモ2

(エミール・シオラン)

“「祖国とは国語である」” P75

  

(執行氏)

“福田恒存の思想は大いに学ぶべきです。” P84

  

(アルベール・カミュ)

“「生きることへの絶望なくして、生きることへの愛はない」” P88

  

(三島由紀夫)

“「死は、生きることの目的である」” P89

  

(モンテーニュ)

“「死をあらかじめ考えることは、自由を求めることである」” P89

  

ここまでで、なぜ現代は死を悪としているか、執行氏がさらっと見解を示す。

“それは、消費文明を推進するためには、死を悪としなければならないからです。” P97

  

三島由紀夫が切腹する前に『文化防衛論』に書いた「(現代社会について)空っぽで、ニュートラルで、経済的には反映している国」と言っていた意味がここで繋がるわけである。

ここで1ページから100ページまでが見事に繋がっていく感覚を覚えた。

  

・・・

『実存主義者のカフェにて――自由と存在とアプリコットカクテルを』

メモ

“サルトルにとって自由とは、人間のあらゆる経験の中心に位置するものであり、人間をほかの物体すべてから切り離すものである。” p14

  

サルトルがトロッコ問題に似たような話を聴衆に語りかけるくだりのエピソードが印象的であった。

「あなたは考えなければならない」

答えのない問いに自分の力でぶつかっていく。池田晶子も「そうだ」と言うだろう。

サルトルも良いことを言うじゃないか。

三島由紀夫はサルトルのことを嫌いだと語っていたが、いまだに理由は分からない。

(執行草舟氏と対談したときに、「三島由紀夫はサルトルが嫌いだと言っていましたが、執行先生はサルトルは好きですか?と自分は聞いたが、「オレは好きだよ」と答えてくれたのを覚えている。)

  

・・・

『リベラリズムはなぜ失敗したのか』

“政治が個人の個別化を進めるにつれて、個人の集合体は当然ながら困るとすぐに国に頼る傾向を強めている。トクヴィル以来そのように観測する者は、個人主義は国家主義に代わるものではなく、まさしくその原因であると指摘する。トクヴィルは、その著書を手にする現代の保守派、革新派の人々とはたいてい違って、個人主義はますます拡大し中央集権化する国家の問題への解決策ではなく、その権力を拡大させる原因となっていると理解していた。” p83

  

デヴィット・グレーバー『官僚制のユートピア』にも似たようなことが書かれているのを記憶している。

  

・・・

『ルネ・シャール詩集: 評伝を添えて』

メモ

“生者にとって意味のある行動は、死者にとってのみ価値をもつ。またそれをひき継ぎ、それを問い直す意識においてのみ成就される。 ” p78

  

・・・

社会の価値観、コモンセンスは時代とともに移り変わるということが理解できる。

実存主義は歴史的文脈、民族的文脈といった「通時性」に欠けるという批判にさられたが、実存主義はむしろそのことを明るみにさせたという意味においては無意味な思想だったとは思えない。

サルトルがいなければレヴィストロースは脚光を浴びなかったかもしれない。

誰もが間接的には誰かに貢献している。そういうことを考えさせられた。

そのことを日々の仕事にも適用させてみたいと思うに至る。

何事も確かに絶対性というものはないのかもしれない。

かもしれないが、自分はプラトンを信じるので真理というものを今後も見定め、追求し、絶えず批判的に思考していきたいと考えている。

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2024 ラボ読書梟 | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free