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新・読書日記224(読書日記1564)

執行草舟『根源へ』講談社(2013)

長尾天『ジョルジョ・デ・キリコ: 神の死、形而上絵画、シュルレアリスム』水声社(2020)

C・ミサック『真理・政治・道徳―プラグマティズムと熟議』名古屋大学出版会(2023)

高山宏『鎮魂譜: アリス狩りVII』青土社(2022)

沼野充義『徹夜の塊1 亡命文学論 増補改訂版 (徹夜の塊 1)』作品社(2022)

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■株式会社講談社

公式HP:https://www.kodansha.co.jp/

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■株式会社水声社

公式HP:http://www.suiseisha.net/blog/

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■名古屋大学出版会(国立大学法人名古屋大学)

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■株式会社青土社

公式HP:http://www.seidosha.co.jp/

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■株式会社作品社

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日記

カフェで本を読み、選挙に行き、ドトールで昼飯を食べた。

何回か電車に乗ったが、だいたいとなりの人間はスマホをいじっていた。

ドトールで昼飯といっても、ミラノサンド一つなのでカロリーは明らかに足りていない。

日曜日くらいはラーメンを食べようかと考えた。

地元には二つほど行列を作るラーメン屋が存在する。

一店舗目。4人ほど並んでいた。全員をスマホをいじっていた。

二店舗目。5人ほど並んでいた。ほぼ全員スマホをいじっていた。

昨日、ブックオフの帰り道、信号がずっと赤だったので某JRの駅の前で政治家の街宣が耳に入ってくる。

経済と賃金の話をしていたように記憶している。

自分は政治家が悪いという陳腐な文句は不要だと思っていて、むしろ日本の経済が低迷なのは行列をつくってスマホをいじっている活力のない若者たちなのではないかとすら思えてくる。選挙会場は高齢者が多い。若者など皆無。そこは主観でしかないので根拠は薄いのは仕方がないが、若者は旅行か趣味かデートかだと自分は踏んでいる。

若者の意識が変わるにはどうすればいいのか。たまに考えるが、文明論、歴史学、文化史、人類史を学ばないと答えは出ないだろう。プログラグ教育だとか、英語教育だとか、共時的な教育論はナンセンスだ。そんなことを考えても無意味でしかない。

若者論を書くことになんだか抵抗感を感じ始めたので今日の感想を書いておしまいにしたい。

  

・・・

『鎮魂譜: アリス狩りVII』

さきにこちらの感想を書いた方が良いかもしれない。

高山宏という人物、この人物は怪物級の読書家だ。これはとてつもない。執行草舟氏の文明論と重なるところがあった。

ミシェル・フーコー『言葉と物』のは、エピステーメーという概念が登場し、時代の知識はその時代が作るということを明かしているとされている。

昨日、新・読書日記223で執行氏の科学論に触れた。相対性理論は20世紀の遺産だという風潮があり、しばらくこの事実に固執するかもしれないということを執行氏が語っていた。権威のようになっていて、相対性理論を根底から覆す実験結果が出たとしても無視される可能性があるということである。

また、あまり報道には出てこないが、薬害の観点から、やはり新型コロナウイルスのワクチン接種による関連死の究明が全く進んでいないように思える。これはmRNAによるワクチンに構造的欠陥はあり得ないという、ある種の信仰のようなものが時代的に形づくられているのかもしれない。

以下の言葉をまず引用したい。

“その動きの中で生まれたキーワードが「ファクト」(fact)つまり事実。ラテン語のファキオー(facio)が作るという意味で、その過去分詞がファクトゥム(factum)。最後のumを取った「ファクト」という単語が生まれたのが一六三二年!科学というものが出てきて、正確な情報が必要になる中で生まれたのが「ファクト」という言葉なんだよ。” P65

  

“ーーー事実という概念自体が、時代の要請を受けて生まれたのですね。

高山 ぼくが幻想文学をやりつつ文化史をやり出したのはそういうこと。” P66

  

昨日書いたパスツールの言葉とそれについて説明する執行氏の発言を再度引用したい。

“「実験とは、それを行う人間の思い通りの結果がくるのだ」と。つまり、実験結果は個人の意志と時代精神に支配されているのです。(・・・)科学とはそういうものだと知る必要があると言っているのです。” P49

  

エピステーメーという言葉を自分はあまり良いものだとは思っていなかったが、高山氏が語ってくれたこの驚愕的な事実を自分はどう受け止めていいのか判断ができかねている。

科学が先にあって、そのあとに事実という言葉が作られた。

なんという逆転現象。これは何かに似ている。

  

・・・

『根源へ』

執行氏の文明論は非常に明快で、ときに難解な話もあるが読みごたえがある。

今日は平和主義の欺瞞や現代日本の教育の欠陥、その他民主主義など、話は多岐にわたった。

“名誉心とは、主体を持って生きようとする国家や個人にとっては、命よりも大切なのです。” P112

  

尖閣諸島の問題について、執行氏は日本を「口だけ」だと批判した。

「法律上では竹島は日本の領土」としか日本は言えない。

領土問題は「腕ずく」の問題だと執行氏は語る。日本は名誉心よりも利己心、打算的な感情が強いので(つまりは損をしたくない)言葉を濁し、何かあればアメリカを頼ろうとする。それじゃあ韓国や中国になにかと言われ放題なのは致し方がないと自分も思うに至る。

国家同士の喧嘩は口だけでは済まないということが端的に語られた。

  

“国益の第一は国家の名誉を守ることなのですが、今の日本の政治家の言う国益とは経済的利益だけを意味しているように見受けられます。” P115

  

平和主義を貫徹する場合、それには「欲を完全に捨てること」が求められると執行氏が語っていたのはメモを残さずとも覚えている。

平和主義者は自己矛盾に陥っている。自由は戦いを通してでしか勝ち取れない。これは自分も職場でいろいろと揉めた時に痛感した。

平和について一時期いろいろと考えたのを自分は思い出した。

「寛容は不寛容に対しても寛容であるべきか」

川上未映子『ヘヴン』という小説を読んで自分は確信した。闘わない者に自由は存在しない。これは普遍の原理ではないだろうか。プラトンは『国家論』で軍事と防衛について語っている。

つまり、戦争の反対は「平和」ではないということだろう。そのあたりを考えていたと自分は記憶している。

  

・・・

ペルソナ・・・・「尊厳を持つ者」の意。

似非脳科学者が「ペルソナ」の意味を違った意味で使ってしまっているから日本ではペルソナの本当の意味が全く別の意味で通っていると自分は読んでいて思った。

外国語の取り扱いについて自分は気を付けようと感じた。高山宏氏の本を読んでそのあたりはいろいろと学びたい。来月あたりは『トランスレーティッド』を読みたいと思う。

  

メモ

”いま使うべきエネルギーとは、確定した過去を学ぶことと、今日の人生に真正面からぶつかることです。” P145

  

アラン「進化とは外部に対する意志の敗北である」

アラン「進歩とは外部の力に対する意志の勝利を確立する変化である」

アラン「ゆえに進化の反対は進歩である」

話がダーウィンの進化論になり、アランの定義とベルグソン哲学の講義が始まった。

このあたりは『根源へ』のなかで最も難しい話だと感じた。

苦痛を感じてでもこれらの哲学者の本を読んでみよと執行氏は語る。

  

”アランは、読む人間に「苦痛」(la souffrance)を要求するのです。それが人間成長にとって決定的に重要なことだと深く知っているからです。「苦痛」のない読書は、読書ではありません。読書とはひとつの挑戦なのです。” P162

  

“進化は無限でいいが、進歩は有限で循環しなければ破滅するのです。” P169

”進歩とは、すばらしいものでも何でもなく、その本質は人間のなまけ心なのです。 P175

ボードレール「進歩への信仰は、なまけ者どもの教義だ。それは自分の仕事について、隣人たちをあてにしている」

  

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『真理・政治・道徳―プラグマティズムと熟議』

“リベラリズムは、中立的な状態がベストであるという確信に基づいたイデオロギーなのだが、同時に、イデオロギーの多元状態に寛容であるよう要求するイデオロギーでもある。そうしたイデオロギーたちの一つが他を圧倒することを防ごうとする。ところが実際には、その上でリベラリズムは中立性というイデオロギーが他を圧倒することになるのである。” P18-19

  

“シュミットの論じるところでは、これこそがリベラリズムに自己破壊への種を撒かせる緊張である。” P19

 

思い出す。法哲学者、井上達夫氏は「リベラルは正義を善に先行するものととらえる」と語っていた。

今日、ドラクエ3の性別システムが廃止されたというニュースが目に入った。

リベラルが文化を破壊しているように自分には思えた。このドラクエ3の話は、リベラリズムによる自己破壊のひとつの例なのではないか。そう思えてならない。

  

(リチャード・ローティの考え)

“私たちが真理、正しい理由、そして客観性というボキャブラリーを断念しさえすれば、実在論も相対主義もまやかしにすぎないことがわかるだとう、と彼は考える。” P24

  

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『ジョルジョ・デ・キリコ: 神の死、形而上絵画、シュルレアリスム』

“「はじめに無意味ありき」。世界の根源には意味などない。そこに宗教や形而上学という「禁欲的理想」が一つの「意味」を与えた。ここで言われている「意味」とは、世界の背後に仮構される「真の世界」あるいは「神の世界」によって担保される一つの解釈に過ぎない。だが、これが世界に与えられ得る唯一の解釈であると信じられてきたために、その崩壊によって生には何の意味もないというニヒリズムが生じる。これがいわゆる「神の死」であり、ニーチェはこの「神の死」のニヒリズムの極限形としての永遠回帰を導き出している。つまりニーチェにおいて「無意味」の語は「神の死」に、その反形而上学的世界観に結びついているのである。” P45

  

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『徹夜の塊1 亡命文学論 増補改訂版 (徹夜の塊 1)』

(ミラン・クンデラ)

“「小説の歴史は『ジャックとその主人』ぬきには不完全で、理解できないだろう。この作品は世界の小説の文脈には置かれずに、もっぱらディドロの著作の一部として見られていることで、損をしているとさえ言えるのではないか。その本当の偉大さは、『ドン・キホーテ』や『トム・ジョーンズ』、『ユリシーズ』や『フェルディドゥルク』と並べて見たときに初めて明らかになる」。” P365

  

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