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新・読書日記229(読書日記1569)

安部公房『死に急ぐ鯨たち・もぐら日記』新潮文庫(2024)

執行草舟, 佐堀暢也『夏日烈烈-二つの魂の語らい―』講談社エディトリアル(2018)

ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』白水社(2022)

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■株式会社新潮社

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日記

『夏日烈烈-二つの魂の語らい―』の影響で安部公房の本を読んでみることにした。

小説ではなくエッセイなので読み易い。また、数学的な話で言葉について語るところにセンスの良さ、鋭さを感じた。言語学は科学性を帯びることでチョムスキーの普遍文法という発想に至ったということをどこかの本で読んだ覚えがある。

積分をすると2次元が3次元なる。阿部公房はひとつの言葉を「条件反射」として捉え、積分するとその条件反射は立体的になり(空間をもつようになる)「言葉」になるのだ、ということを書いていた。この考えが非常に気に入った。斬新で奇抜、かつ知性ある見解だと思える。

“つまりある条件反射の系の積分値として<<ことば>>を想定したのがパブロフでの仮説になるわけです。”P22

   

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『マーティン・イーデン』

メモ

“書くということは、長い思考過程の最高の行為であり、ばらばらの思想の糸の寄せあわせ、頭にしまい込んでいたあらゆる資料を最終的に概括することだった。” P256

  

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自由意志問題にたいして、ある程度自分なりに決着がついた。

「どうせ人間には自由意志がないから何しても無駄だ」と思うことで自分に対する責任を放棄する人間が一定数いる。

決定論であるかどうかは、本質的には重要ではないように自分には思えてならない。

ニーチェの「事実ではなく解釈だけが存在する」という言葉を突き詰めると分かることは、結果を単に結果論で捉えるか、そうとは捉えないかで二つの人間に分かれるということである。

つまり、結果論としてしか捉えられないことは世の中を「HOW(いかにして)」でしか考えることができないということなのである。

そうでない人間は世の中を「WHAT(なぜ)」で問う。

また、WHATはHOWを包括したうえで、一歩超越している。

WHATはHOWが出した答えに対して言及する。

HOWは「そうなっているから」という答え以上の回答を持ち合わせない。

それに対しWHATは「そうなっているから」という答えに「なぜそうなのか」とさらに一歩踏み込むことが可能なのである。

  

自分は明らかにWHAT派だと常々思う。

HOWに魅了される人間はそもそも文学をあまり好まないだろう。

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