ノーム・チョムスキー『統辞構造論 付『言語理論の論理構造』序論』岩波文庫(2014)
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ (上)』岩波文庫(2023)
C・ミサック『真理・政治・道徳―プラグマティズムと熟議―』名古屋大学出版会(2023)
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日記
今日は乱読の一日であった。
数多くメモを残したがもうここに書き写す気力が残っていないので、言語について考えたことを手短に書いて明日に備えたい。
・・・
最近、職場で人間関係に若干のトラブルがあった。
経験のないトラブルだったゆえに、根本的な解決策を見つけることができず、結局自分とその相手は決別した。
このことについて、自分は考えずにはいられなかった。自分に対する怒り、多少の後悔、そして人間の謎をただただ不思議に思うばかりであった。
自分は推論能力が人格というものをある程度かたちづくっているように思えた。
自分が思う推論能力とは、事実に対してどう解釈するかがその能力の一部に含まれている。
つまり事実Aに対して、どう解釈し、どういう意見を持つようになるか。その意見に色で性格の色が決まる。そういう具合に考えた。
しかし、完全に中立した事実が存在し得ないのはグレゴリー・ベイトソンが示唆している。(ダブル・バインド)
ポール・ド・マンもこのことについて語っている。
例えば、
「ひもの結び方が分からない」という呟きは、
端的に結び方が分からない、または、「結んで欲しい」というお願いであったりする。
本人がどこまで理解しているのかすら分からないこともある。
結び方が分からないから結んで欲しいという依頼であったりもする。
無意識につぶやくこともある。『神々の沈黙』を読むとそのあたりは見えてくる。
・・・
自分は、職場内の人間関係における感情は「事実」に大きく依存すると考える。
いま考えたことを加味すると、
「感情は事実に対する解釈から派生するものである」という持論は成立しないように思える。
感情はふわふわしている。曖昧である。不確定で、不合理で、矛盾がつきものである。
ただ、一定の推論能力のある人間は誤った解釈、拡大解釈を回避できるので、不必要でネガティブな感情が生成することは少ない。
ネガティブな感情を人間関係で抱きやすい人の十分条件に「推論能力の欠如」があるように思えてならない。
このことを少し考えてみたい。
つづく