ダニエル・フリーマン『パラノイア: 極度の不信と不安への旅』金剛出版(2024)
米津昭子『慶應義塾で学んだ女性たち―独立自尊へのあゆみ』慶應義塾出版会(2008)
森本あんり『魂の教育 よい本は時を超えて人を動かす』岩波書店(2024)
スティーブン・ピンカー『暴力の人類史 上』青土社(2015)
ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』白水社(2022)
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■株式会社金剛出版
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■慶應義塾大学出版会株式会社
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■株式会社白水社
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日記
仕事上、精神疾患の人たちと関わるので少しそのあたりを学びたいと思いながら書店をうろうろしていると『パラノイア』というタイトルが自分のなかでひっかかった。
浅田彰『構造の力』ではパラノとスキゾについて書かれているらしいが(ほとんど読んでいない)、自分は実際パラノイアという言葉の持つ意味がよく分かっていない。
読んでみることにした。
・・・
『パラノイア: 極度の不信と不安への旅』
メモ
“最善の心理療法は、不安は予想される危険への反応であるというのが理解の出発点である。” P28
ありきたりな定義ではあるが、この文章を読むと、裏を返せば「自分は安全である」という「確信」を持つことによって不安は消え去るということに気づく。
“ゲイルのように、統合失調症と診断された人のほとんどが被害妄想を呈する。約五〇パーセントは幻聴を呈する。” P64
“私はさまざまな数値を紹介してきたが、パラノイアを測定するというのは実に難しいというのも事実である。” P68
読んでいくと、パラノイアは幻聴や被害妄想に苦しむ人、ということが見えてきた。
著者によれば、PTSDとパラノイアには相関性が認められるということであった。
カサンドラ症候群に苦しんでいる人を自分は見たが、読みながら、実際は複合的だと感じた。
「〇〇さんは〇〇の障害を持っている」という言い方をするが、ひとつの病名に還元させるのは危ういかもしれないと自分は感じた。
“PTSDは根拠のない出来事についての記憶から生じる。” P91
多かれ少なかれ、誰もが認知バイアスを持ち、誤った推論をし得るし、誰もが強弱は違えど、パラノイアと似たような症状はあるのではないか。実際、本書にもスペクトルで考えるべきである、と書いてある。
・・・
『慶應義塾で学んだ女性たち―独立自尊へのあゆみ』
学びを実務にいかに応用していくのかということを自分はいろいろな伝記などから学びたいと考えている。
『マーティン・イーデン』は作家として昇華させていた。
この本でもひとりひとり、どのような道を辿って行ったのかが書かれている。こういう本は魅力的だ。
メモ
“私が教授法に惹かれたのは、出会い、対局、交歓の喜びという図式が引けるからだ。(・・・)最も価値のあること、真実を伝える努力をすることは、私にとっての生涯のやり甲斐のある仕事だと確信している。” P27
翻訳は部分的にジャーナリズムでもある。
誤訳すれば間違った知識を読者に与えてしまう。
文学者は何をしているんだ、役に立っているのか、という批判があるようだが、それは明らかに想像力が欠如しているように自分には思われた。
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『暴力の人類史 上』
トインビーは未来を悲観的に描き、スティーブン・ピンカーは明らかに間違いだと判定していた。
“複雑な統計的現象に大きなパターンがあると妄想し、それを確信をもって未来にあてはめるという、あまりに人間的な過ち” P354 (トインビーの誤謬)
・歴史的近眼
⇒近い時代ほど知れることが多い
⇒暴力による死者数の時代ごとの比較は、その時代の人口を考慮に入れなければならない
・想起ヒューリスティック(利用可能性ヒューリスヒック)
⇒人は想起しやすい事柄ほど起きる頻度が高いと思ってしまうこと
“(・・・)多くの歴史書を参照し、その時代ごとの世界人口で死者数を調査すると、二〇世紀に比肩するような戦争や虐殺が過去にいくつもあったことが明らかになる。” P356
⇒スティーブン・ピンカーは二〇世紀が最悪の時代とは限らないと主張。
・・・
『魂の教育 よい本は時を超えて人を動かす』
・バルトの虚無論について(悪の問題)
“神は世界を善なるものとして創造された。だが、この世には悪が存在する。もし神が、①全知で、②全能で、③愛に満ちているなら、人はどうして悪に悩まされるのか。整合性を求めると、この三つの条件のどれかを諦めねばならない。①の全知を諦めれば、神は全能で愛に満ちているが、悪の出現を予測できなかった、ということになる。②の全能を諦めれば、神は全知で愛に満ちているが、悪の出現を止めるだけの力がなかったということになる。③の愛を諦めれば、神は全知全能だが、愛がないので人間が苦しんでいても無関心で放っておくのだ、ということになる。” P153
メルカリの読書仲間のひとりが言っていたのが、人間は「知性」「権力」「良心」の三つは同時に持ちえないというものであった。
これが見事にアナロジーになっているように感じる。
・全知⇒知性
・権力⇒全能
・愛⇒良心
もしこのことを知らずにその結論に辿りついていたならば、やはりあの方は偉大な読書家なのだと思わずにはいられなかった。