ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち 上』白水社(2010)
エルンスト・カッシーラー『啓蒙主義の哲学 上』ちくま文庫(2003)
グスタフ・ルネ・ホッケ『絶望と確信: 20世紀末の芸術と文学のために』白水社(2013)
シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと 上』岩波文庫(2010)
ツヴェタン・トドロフ『絶対の冒険者たち』法政大学出版局(2008)
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■株式会社白水社
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■一般財団法人 法政大学出版局
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■株式会社岩波書店
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■株式会社筑摩書房
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■株式会社筑摩書房
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日記
言葉の意味は行為の目的だという仮説。ホッケも似たようなことを書いていて正直驚いた。
“<意味 Sinn>というこの語は何を意味しているのだろうか?(・・・)ラテン語では、sentireは、ある方向を追尋する、の意である。意味はかくてまぎれもなく重要な目的方向を探る本能と深い関係がある。” P48
(ホッケ『絶望と確信』)
「人生の意味とはなにか」という問いかけは、つまるところ、その問いによって何かを行う(行為)だけのことなのではないか。
人生の意味、人生の意味、人生は無意味、意味なんてない……
それはただのひとつの「行為」であって、問いですらない。意味を問うことはそういうことなのではないか。
これは面白い発見である。
・・・
『絶望と確信』
メモ
(ユクスキュル)
“<私の思うに、不安を持つ能力があるということは人間たり得ることの不可欠の一部であることを人びとに納得させることができるなら、現代においてわれわれはひたすら希望についてのみ語ることができるのである>。” P41
(ソルジェニーツィン)
“<芸術作品はそれ自身のうちにその真理を有する>” P44
(ホッケ)
“主体の価値を救うのは芸術家なのだ。” P44
(フロイト)
“<一人の人間が生の意味や価値に疑いを持つとき、その人間は病気である>” P46
(アルベール・カミュ)
“<真にまっとうな哲学上の問題は一つしかない。自殺である……自由意志による死は、すくなくとも本能的に(いやしくも日常生活のうちに生きるという)この習慣の愚劣さ、生きることへのいかなる深い根拠も存在しないこと、この日々の営みの無意味、苦悩の無益を認識していることを前提とする>” P51
・・・
『マーティン・イーデン』が読み終わってしまったので次に何を読もうか軽く考えたが『野生の探偵たち』にした。『2666』は持ち歩くにはあまりに大きすぎる。『野生の探偵たち』は上下分かれているので持ち運びやすい。
日曜日は深い思索をするほどの気力が残っていなかったので今日はホッケの文章を引用して満足した一日であった。