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立岩真也『人間の条件』読了+新・読書日記258(読書日記1598)

   

立岩真也『増補新版 人間の条件―そんなものない』新曜社(2018)

ジャコモ・レオパルディ『カンティ【新装版】』名古屋大学出版会(2024)

上野千鶴子『差異の政治学 新版』岩波現代文庫(2015)

坪内祐三『文庫本宝船』本の雑誌社(2016)

佐藤貴彦『男女平等は男女を幸福にしない』パレード(2024)

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■株式会社パレード

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■株式会社本の雑誌社

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■名古屋大学出版会(国立大学法人名古屋大学)

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■株式会社岩波書店

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■株式会社新曜社

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『人間の条件』

当たり前だと思われている社会の仕組みに対してひとつひとつラディカルに問い直す本となっていた。

例えば機会の平等に対しては以下のように語られた。

“各人の能力と各人の獲得とが対応するというこの社会の仕掛けをそのままにしておいて、受け取りに(あまり)違いがないようにしたら、どうしたらよいか。” P169

    

この問いに対しては、「全員が同じようにできるようになればいい、というのが唯一の答えとなる。ただ現実がそうなっていなければ社会の仕組みを変えなければならない」と著者は考える立場だと書かれていた。

“そして、社会の方もそれなりのことをやってしまっていることになっている。学校が機会を与える。そしてそれは文句を言いにくくさせる機能をはたしている仕組みでもある。” P172

  

教育の平等が達成されていることによって、「できるようにならないのは個人の責任」という反論を許す余地を与えている。

本書はいろいろと考えさせられるポイントは多かったが、疑問に対して「こういう方法もあるよね」と提案がされるも、「それに対しては〇〇と反論される」と著者は想定するも「それで本当にいいのだろうか」で止まってしまうことが多いように感じた。むずむずさせられる本であった。

  

マルクス経済学、厚生経済学の話もちらほら出て来たが、詳細に論じられることはなく、結局は功利主義に傾いているように感じた。

「幸福(ベンサムに言わせればただの快楽の総量)」にやや価値を置いているのか、この本だけでは立岩真也の考えの全ては分からないが、ちょっと理論としては弱いように感じた。

ただ、考えさせられるポイントは多かったので(生産と失業率のくだりなど)この本を読んで考えたことがどこかで生きると感じた一日であった。

  

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『差異の政治学 新版』

メモ

「生権力」の意味について

“近代以降、「真理」は「公的領域」から隠されたことがらと同義になり、人々は秘匿された「自己の真実」を「告白」しはじめる。「われわれ」から「わたくし」というものが分離し、「われわれ」に還元しがたいものだけを、人々は「個性」や「人格」とみなすようになる。アイデンティティ研究が示すのは今でも、人々が「真の自己」とみなすのは、当事者が「他の誰も知らない私」「誰にも見せたことのない私」と考える「自己」ーーーそんなものがあるとして、のことだがーーーのことである。かくしてセクシュアリティは「身体」を通じて「個人」を管理する権力の技術となり、そのような権力のことを、フーコーは「生権力 bio-pourvoir」と呼ぶ。” P52

  

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散歩しながら考えたこと

SNSにおける中傷が事件化にいたりニュースで報道されることがよくある。

特定の人物、あるいは社会に対する嫌悪感の源泉が気になった。

嫌いの反対は好きではなく、無関心であることを踏まえると、彼らは人間には関心のあることは見えてくる。

  

自分もわりと社会が嫌いなほうであるが、この考え方はおかしいときがついた。

人間、必ず嫌いな人がいる。社会にいる全員のことが好きな聖人は存在し得ない。

すると、社会が嫌いでない人は存在し得ないことが論理的にわかる。

  

液体(水)に砂糖を溶かすと砂糖は水になじみ、その液体のなかに砂糖が入っているかわからなくなる。

なじむとは同化(視覚的に)するということである。

液体(水)にビー玉を入れてもビー玉は溶けない。

これは社会と似ている。

全体(水)に溶けるものと溶けないものがある。

ビー玉はビー玉同士でかたまればビー玉は孤独でなくなる。

ビー玉の塊に砂糖は溶けない。

  

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『文庫本宝船』

メモ

“略語を使う傾向は全体主義的な国や全体主義的な組織においてきわめて顕著であった” P96

   

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他にも画像以外の本を数冊読んだが感想は明日に持ち越したい。

つづく

  

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