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新・読書日記262(読書日記1602)

  

坂本龍一『龍一語彙 二〇一一年 ‐ 二〇一七年』角川書店(2017)

執行草舟『根源へ』講談社(2013)

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日記

自由を得るには闘わなければならない。死か自由か。その精神性がアメリカを超大国に創り上げたと語られた。

書きながら山本七平を思い出した。小室直樹との対話の本、たしかタイトルは『日本教の社会学』だった。

日本人は自由観は「~からの自由」だと書かれていた。

これが、ビジネス書がよく売れることの裏付けであるように自分は書きながら思った。

選択肢がどんどん減っていくことが嫌いなのが日本人なのではないだろうか。

裏を返せば、日本人はいくらでも選択肢があるものは好きなのだ。毎日のように流れる転職サイトのCMがそれを裏付けているように感じる。

選択肢があればあるほど、自由度が高ければ高いほど人気なのが現代なのである。

しかしプロテスタントの精神を持っていたころのアメリカ人はそうではなかった。

彼らは自由を得るには闘うしかないと考えていた。

「~への自由」がアメリカ初期の精神なのだ。(本書では、現代はアメリカもこの精神性が無くなっていったと語られる)

書きながら腑に落ちていった。

選択肢は少なければ少ないほど、実は自由度が上がる。

   

グレン・グールドは「真の自由は不自由の中に宿る」といったことを語っていたそうだ。

グールド氏はまた、三島由紀夫の文学を好んでいたと書かれていた。

文明的には、三島由紀夫こそ真の自由人なのかもしれない。

だから共鳴するところがあったのだろう。

坂本龍一の反骨精神にも似たようなものを感じる。

芸術家のさがか。

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