執行草舟『根源へ』講談社(2013)
ロマン・ロラン『ベートヴェンの生涯』岩波文庫(1965)
加藤洋介『ジョン・バンヴィルの本棚』開文社出版(2023)
ツヴェタン・トドロフ『われわれと他者 〈新装版〉: フランス思想における他者像』法政大学出版局(2015)
上村剛『権力分立論の誕生: ブリテン帝国の『法の精神』受容』岩波書店(2021)
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日記
『根源へ』は2年前くらいに購入したが積読になっていた。昨日読み終えた『夏日烈烈』を読みながら徐々に『根源へ』への関心が高まっていき、少しずつ読み始めた。今日、いっきに最後まで読んだ。
ところどころに過去の人物の発言や箴言が引用される。これは書き残したい、と直感で思ったものはノートに書き残した。そしてここに再度書き残すことによって少しでも血肉となれればと思っている。
この本も逆説に満ちていた。今日はキリスト教とその逆説が強烈に印象に残った。その点はメモのほうに書いておきたい。
他にもいろいろとあったが、あとは、三島由紀夫が「文学に命を賭けたい」という言葉が最後の切腹とつながる話が印象的であった。
メモ
“フランスの作家アンドレ・マルローは「芸術とは反運命である」(L’ art est un anti-destin.)と言っています。私の言う勇気とは、運命に抗う力です。P232
“バルザックは晩年、『人間喜劇』がまとまったところで総序文を付けています。その中で、「情熱こそは、人間性のすべてである」(La passion est toute l’ humanitfrancé.)と書いたのです。つまり、普通に生きる一般の人たちであっても、情熱がなければ人間的ではないと言っている。” P251
テオドール・リップス(美学者)「本当に芸術と出会いたいならその対象に対する自己の感情移入が必要だ」
“好きなことばかりして生きたい人は、一回性に自分を投じることはできない。” P404
丸山眞男「理性的、合法則的なものをどこまでも追求して行く根源の精神的エネルギーはかえってむしろ非合理的なものである」
⇒自分はこの表現が小室直樹と全く同じだと理解した
(合理的であろうとする動機が合理的であるはずがない)
リルケ「自らを失うものは、すべてに見放される」
呻吟(しんぎん)・・・苦しみうめくこと
solitude ≠ loneliness
孤独と孤立は異なる
しかしながら『孤独の群衆』はlonelinessであるにもかかわらず「孤独」と訳されてしまった
(リースマン)「孤独は、個人の努力でなされるが、孤立は社会の圧力に負けることによってなされていく」
執行草舟氏の希望の定義
“「希望とは、人類の文明に宿る高貴性の追求である」。” P431
“現代人は人生を無常だと思っていません。何か、もっと合理的で計算できるものであって、それこそ保障されているとさえ思っています。” P453
キリスト教とパラドックス
“(・・・)世界でもっとも不合理な宗教でもあるキリスト教を受け入れた西洋が、世界でもっとも合理的な科学を生み出すことができた。” P461
モンテーニュ「人生は、それ自体、幸福でも不幸でもない。それは用い方ひとつで、幸福の場所にも不幸の場所にもなる」
⇒「生命の弁証法」(執行)
ここまでが今日書いたメモとなる。
とにかく世界は逆説に満ち溢れている。これが最後まで不思議であった。
ところどころ、散歩しながら逆説について考える一日であった。
逆説とはつまるところ現象の問題なのか、それとも言葉の定義上(意味)の問題なのか。
定義がそもそも間違っているから結果論的に意味が逆転したことになるのか。このあたりはいろいろと考えさせられた。
最後まで分からない読書時間であった。分からないことが分かった。これも逆説的なことなのかもしれない。
・・・
『われわれと他者』
今日は『根源へ』と『われわれと他者』をメインに読んだ。この本を読んでいくと、トドロフが相対主義に対して批判的な立場を取っているのではないかと見えてくる。分からないので断定はしないでおく。
メモ
“モンテーニュの他者に対する肯定的な価値判断は誤解にもとづいている。自己の像の他者への投影、あるいはより正確に言えば、モンテーニュにとってギリシャ・ローマ文明が体現する自己の理想像の他者への投影にもとづいているのである。” P76
⇒トドロフによれば、モンテーニュは相対主義者であると願いながら結局は普遍主義者の意
“モンテーニュが企てる一般化とは単純な帰納法、あるいはむしろ単なる実例の積み重ねと言ったほうがよく、彼の弱点はここに起因する。” P79
“個別的事実の積み上げによっては一般性に到達することはできない。” P80
“(・・・)相対主義を根拠づけそれを証明するものは、利害の相違なのである。” P85
エルヴェシウス「ひとりの人間はそのあらゆるおこないが公共の利益に向けられるとき、正しいものとなる」
“個人にあってはエゴイズムとか頑迷さと呼ばれるものが、国全体が関わったとたんに徳、誠実、正義に変わってしまうのである。” P86
“そのように相対主義者は必ず人類についてエリート主義的な見方をするようになってしまう。というのも自分の理論(そして時にとして先駆者の理論も含まれるが)を例外とするからである。” P89
(誰の発言か不明)
“今日にいたるまで、自分が正しいと信じた者がことごとく間違っていたことは、われわれの目には明白な事実である。(・・・)歴史は絶対的真理も完璧な正義も存在しなかったことを示している。” P94-95
”相対主義のドラマとは、それが文明の優れた段階、理性の開花によって到達できる段階を示すと同時に、一方では絶対なるものを信ずる他の文明よりも脆弱であるという限りにおいて文明の劣った段階をも示す点にある。すなわちその力自体が弱さを生みだしてしまうのである。” P99
⇒平等≒水平≒脆弱≒相対 ⇒平等主義(相対主義)への批判(?)
“(・・・)レヴィ=ストロースは民俗学者に対して道徳的判断を認めない。「人間社会に対して開かれた可能性のすべての中から、各社会はある選択をおこなったのであり、この選択については相互に比較することは不可能である。すべては同等の価値をもっているからだ」(『悲しき熱帯』三四六項)。” P109
社会保障それ自体を悪とみなすならば、私たちは社会に何を与えられようか
寛容は無知によって砕かれ
寛容は徳によって後押しされる
無知は不寛容の母であり
徳はその限りでない
ヒューマニズムはプラトンからすれば徳とみなせるか
善と悪は個人の快不快の感覚を出発点として考え出されたものにすぎない、は反駁可能か
善と悪は個人の美・醜の感覚を出発点として考え得る、は反駁可能か
・・・
『ベートーヴェンの生涯』
メモ
“(・・・)われわれが彼らの眼の中に、彼らの生涯の歴史の中に読み採ることは、ーーー人生にというものは、苦悩の中においてこそ最も偉大で実り多くかつまた最も幸福である、ということである。” P20
⇒人間性と幸福のパラドックス
・・・
『ジョン・バンヴィルの本棚』
メモ
“さて、ニーチェの読者であるバンヴィルは、「万事を合理的に説明すれば生はどれほど退屈なものになるか、想像してほしい」と語る反合理主義者である。『亡霊たち』にハムレット王とバンクオーの亡霊、エリアルへの言及があり、彼がシェイクスピア劇の現実描写よりも創造が創出する世界に関心を向けることを示唆する。”P66
つづく